3連休。実家に来ている。

もう3時間後には帰るけれど。



母の容態は2週間ほど前から予断を許さない状況で、1日中ほとんど眠ってばかり、点滴だけで生体機能を維持している。自宅の居間の日当たりの良いベッドで体を横たえている母は、もうしばらく前からその体を出たり入ったりしているのだろう。苦痛を訴えることが無くなったのと同時に、目を開いても焦点がぼやけている。

父を中心とした献身的な自宅介護が、母を支えていることは素晴らしいことで、誰もが異口同音に「お母さんは幸せね」と言う。私もそうであって欲しいと願う。母が喜んでいると思いたい。でも・・・

母のことだ。

ペロッと舌を出して、傍らで本音を吐き出しているに違いない。



そんな母に寄り添って手を握ったりほっぺたをすり合わせたりしたくて来たのに、昨日は寝込んでしまった。先週から喉が痛くて、風邪を引いたかと思いつつ何とかやり過ごしていたらやっぱりダウン。ひと晩寝たら今日はずいぶん良くて、食欲も戻り喉の痛みもほとんど無くなったからひと安心だけど。何しろ今日は新幹線に乗って帰らなきゃいけないし。

なので、母にスリスリ出来ない。風邪、うつっちゃったりしたら大変だから。なんておマヌケなんでしょうね、私。



実家にいると、当然母が元気だった頃のことを思い出させるものがたくさんある。服・靴・台所まわり・好きで買った小さな物たち。そのひとつひとつを通して、母が私に語りかけてくる。自分の家に帰り、自分の物だけに囲まれて生活している時でもそれは同じで、やはりこれはもう母が寄り添ってくれているのだと感じざるを得ない。いや、考えたら当たり前か。私の半分は母でできているんだから。


母を思い流れる涙は、どこに帰るんだろう。

今まで流した涙のふるさとは、母だった。母の存在はやはりふるさとそのものだ。

うん、これからもそうなんだろうな。

私の唯一のふるさとは、その形を変えてゆくんだな。
タカと出会ってから火がついた私のジャズブームは、コルトレーンを中心にFCQ(ファイブ・コーナーズ・クインテット)、ソニー・ロリンズ、ハービー・ハンコックと続き、マイルス・デイビスにも当然のように触手を伸ばした。今やそれは単なるマイブームを越えて、人生に欠かすことのできないたくさんの音楽の中心にデデンと腰を据えようとしている。

そして、ついに私は体験してしまった。

マッコイ・タイナー。ブルーノートライブ!!

この伝説的なジャズピアニストの演奏を、私はコルトレーンのアルバムで聞いていた。こちらも「神の領域」と言われたサックスの天才で、コルトレーンに気を取られていた私はマッコイのアルバムを買ってじっくり聞くところまで手が廻らなかったため、楽曲をひとつもきちんと聴くことなく先入観ゼロの状態で行ったら・・・もうとんでもないことに。

一緒に行ったタカも私も、ひとたび演奏が始まったらその完成された音の波に翻弄されっぱなしで、終わってからも「スゴイ・・・!」のひと言しか出なかった。ジャズ愛好歴は短く、その筋の専門的な話にはトンと疎いけれど、頂点を極めて今もなお進化し続けている人が紡ぎ出す音楽が、CDからではなく目の前の空気を震わせてダイレクトに鼓膜に飛び込んでくればそれが心を揺さぶらないはずがないのだ!!

マッコイ・タイナー。1938年生まれの69歳。コルトレーンと一緒に演奏し始めた頃を本格的な活動開始だとすれば、ジャズピアニスト歴47年だ!若干41歳でこの世を去ったコルトレーンの遺志を継いで、ジャズの黄金時代を築き上げた・・・ジャスの歴史そのものを作ってきた人だ。そんな人の演奏を生で聴けるなんて、こんなに光栄なことはない。その指が弾き出す音のひとつひとつが、マッコイの人生そのもののように感じた。

ステージに姿を見せた時、正直言って「うわ〜おじいちゃんだ!」と思った。階段を上がりピアノに近寄っていく足取りは決して軽いものではなく、もし隣を歩いていたら思わず手を差し伸べてしまいそうなほど。けれどひとたびピアノに向かうと背筋が伸び顔が活き活きと輝いてまるで別人!その力強さにタカは「マッコイ・・・実は手が4本あるんじゃないか?」と真顔で驚いていた。一緒に演奏したベースとドラムの音に、全くひけを取らないんだから本当にすごい。ちなみに、ベースのジェラルド・キャノン とドラムのエリック・カマウ・グラヴァットも怪物。恐ろしく上手い。マッコイとトリオを組むには、ここまでやれなくてはダメなのだと納得させられた。

そして演奏が終わった後、運良くサインをもらうことができた!FCQの時もそうだったけど、ブルーノートではよく演奏後にアーティストが楽屋から出てきて、サイン&握手会をしてくれる。でもさすがにマッコイはお疲れのようで、楽屋で書いてくれたのを渡してくれるということ。タカと私は急いでショップに行きサイン用のアルバムを購入。封を開け中のライナーノートを取り出して列に並んだ。タカは「リアルマッコイ」、私は「サハラ」。どちらも名盤だ。係りの人がひとりひとり名前を聞きに来てそれをポストイットで貼り、全員の分を回収してマッコイの元へ持って行った。待つことしばし・・・戻ってきたライナーノートの表紙には「To ○○(私の名前) Thank you」というメッセージと一緒にマッコイのサインが入っていたーーー!!しかもなぜか、金色のサインペンでーーー!!こんな機会、もう2度と無いかも知れない・・・ああ、また家宝が増えちゃった。 


そして今、部屋に流れる「サハラ」の曲。

このライブは、ずっとずっと後になってもまだ私の心に輝き続けていることだろう。

帰り道、まだ興奮冷めやらぬタカが言った。

「テハヌーがおばあちゃんになって、もし若い子とジャズの話をしたら今日のこと言うんだよ。そう言えば私、本物のジャズは2007年の2月以来聴いてないわねぇ〜〜ってね。」

あ、それ素敵! 遠〜い目をして、サラッと言っちゃおう。フフ。
ライブに行って来ました!

コリーヌ・ベイリー・レイ。グラミー賞の主要3部門にノミネートされている、注目度急上昇中のイギリス出身アーティストだ。興味のある方はこちらをどうぞ♪

http://www.toshiba-emi.co.jp/intl/special/0607cbr/#info

タカと私の間では去年からマイブームで、来日すると知ったときは大興奮していたのだけれど、そう大きくもない会場で行われたライブのチケットは当日券でも余裕で入れるほどだった・・・。巷ではまだそんなに知られていないのだろうか?でももしグラミー取ったら、きっともうこんなに小さなライブハウスでコリーヌを間近で見ることはできなくなるだろうなぁ〜。

そう、本当にすぐ目の前でコリーヌが歌うのを見た。大柄なバンドメンバーが肩を寄せ合うようにして(本当に!)窮屈そうに演奏しなければならないほど狭いステージは、客席とほぼ同じ高さ。フロアーは中央から前がスタンディングエリアで、後ろの方はカウンター席になっていて座ってゆったりと飲み物を楽しみながら見られるようになっている。タカと私はもちろんスタンディングでかぶりつき!前から2列目だったので、手を伸ばせばコリーヌに届きそうなくらいだった。

ステージに現れたコリーヌは飾り気のない黒のワンピースを着て、満員の客席にチラッと視線を向けると恥ずかしそうにはにかんだ。お化粧はせず素顔のままで、アクセサリーも全くつけず。1つだけ、左手の薬指に新婚の印が光を放っていた。

ひと言だけ挨拶した後すぐにイントロが始まり、それから約1時間の間MCも入れずにアルバム全曲と彼女が大好きなツェッペリンの曲を1曲歌い続け、夢のようなひと時が終わってしまった。

シンガーソングライターである彼女が、心に浮かんだいくつかの結晶を曲という形に育てて自ら歌うその姿は、人がそれぞれに求め続ける幸せを終に手に入れた瞬間を思わせた。何しろ、ずーーーっと微笑んでいるの。どの曲の時も、バラードでもアップテンポでも何をテーマにした曲でも、今この時が完璧に満たされているのを楽しんでいるコリーヌの表情。加えて信じられないくらい細くて長い綺麗な指が紡ぐギターの音色、スラッとしているというよりも意外としっかりした足がステージの床を踏みしめるリズム、これまたビックリするほど長い腕を広げたりなんかすると、まるで見えない羽衣が揺れたような気がしてしまう。その間ずっと鼓膜を振るわせるコリーヌの声は、何だろう・・・寒い夜に潜り込む羽毛布団のような・・・真夏の避暑地でハンモックに揺られているような・・・彼女の幸せが、その声を通して聞く人のお腹にじんわりと伝わってきちゃう。もう何だか、楽しくて嬉しくて気持ち良くて、こっちまで笑顔のまんまだった。

自分と、自分のすることに矛盾の無い生き方をしている人のパワーの素晴らしさ!全てが自然に思えることの、奇跡のような幸せをおすそ分けしてもらって本当に素敵なライブだった。タカは「癒された〜」と言い、私は「元気をもらった〜」と笑った。

そうだ〜〜、私もやろう。

そのために必要な少しの手荷物を持って、ハンドル握ってアクセル踏み込んでぶっとばそうっと。
こないだの土曜日。

タカと一緒に、久しぶりに映画を見に行きました。

封切ったばかりの「幸せのちから」です。



実話に基づいたストーリーで主演はウィル・スミス。詳細は伏せますが、私のランキングではいきなり5本の指に・・・いやもしかしたら、3本の指に入るかもしれない感動の作品でした。ついでに、劇場で泣いた映画ランキングなら、ダントツ1位。隣に座っていたサラリーマン風の男の人がハナをすすっていたのも手伝って、しゃくり上げるほど泣いてしまいました。

実話だと言うことや小さな子供の純粋な演技というのはもうそれだけで「泣かせる」感たっぷりなのだが、この作品はよくあるこすっからいお涙頂戴ものではない。「最近泣いてないなぁ〜、映画でも見て感動の涙を流してスッキリするか」くらいのノリで見ると大変。ガツンとやられるよ。

全編を通して感じるのは、「居心地の良さ」。ストーリーは決して楽しい場面ばかりではなく、むしろ辛く苦しい気分になるようなシーンも多い。それなのに何と言うか・・・肩の力を抜いて話の流れに身を任せていられるのは、見ている側に押し付けがましく人生哲学をなすりつけてこないからだ。見終わって、しばらくしてからそれに気づいた。困難に立ち向かい克服してゆくヒューマンドラマを作るとき、台詞の端々についお説教めいた教訓をちりばめやすい。けれどこのイタリア人監督、ガブリエレ・ムッチーノはそれをほとんどしなかった。役者がスクリーンから必死に人生とは何かを訴える代わりに、時折入るナレーションと台詞以外の役者達の演技力に全力を注いだように思える。そして主演のウィル・スミスは、まさに最初から最後まで「全力で」クリス・ガードナーを演じ切っていた。持てる魅力と技術を総動員して、ラストシーンの芸術的な感動までその力強い腕でぐいぐい引っ張っていってくれる。

そんなストーリー展開の中で、見ている方はそれぞれが容易に自分の人生経験を重ねていけるのだ。心にグッとくるポイントは本当に人それぞれ。言葉になっていないメッセージをどんな形でいくつ受け取るかは、その人が味わってきた全ての経験による。中でも他者と関わりあいの中で喜怒哀楽の醍醐味を堪能してきた人ほど、いつまでも後を引くだろう。

ウィル・スミスって、刑事ものばかりやっていた頃の作品はまともに見ていないから何とも言えないけど、「幸せのちから」は間違いなく彼の代表作になるんじゃないかな・・・と思いつつ今公式サイトを見てみたら、アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたそうだ!


見終わってからタカに、「最初に泣いたのはどのシーン?」と聞いてみたらラストシーンだって。

ふふっ・・・。

やはりまだまだ人生の荒波に揉まれていないのね。全く、子供なんだから。


皆さん、是非劇場に足を運んでみて下さい〜!

言葉に尽くせない

2007年1月25日
楽しみながら10年間続けてきた仕事があって、それは今もますます盛んになっている。

私には伝えたいことがたくさんあって、でもそれは一朝一夕には伝わらないことで、それでも信じて続けてきた。その想いは衰えることが無く、むしろ時間が経つほど伝えたい、伝えられるはずという気持ちは膨らむばかりだった。

何とかしてそれを表現するのが、とにかく楽しい。心の底から沸き立つような喜びに包まれて、疲れを全て消し去ってしまうほどに。

そこには、そんな想いを受け止め続けてくれた人たちがいる。

それぞれのスタンスで、きっと浮き沈みも激しかったに違いないし悩んだことも多かったはず。けれど今ここにこうしていてくれる。私が生涯を通して学び、伝え続けていこうとしていることに共感し、これからも分け合おうとしてくれている・・・・・。



これが宝物でないとしたら、人生に一体何を求めればいいのだろう?



「あなたじゃなきゃだめ」と言われ続けてきた、10年間。

そして今夜、次の10年もみな一緒にと笑い合った。

部屋には手作りのバラの花かご。節目を迎えた記念にと贈られた。






生まれてきて、良かった・・・


ここまで生きてきて、本当に良かった・・・。

メッセージのみ

2007年1月22日
thank you for your tenderness・・・・

目覚めなさい

2007年1月21日
人生をどこまでも登ってゆく階段に例えるなら

その長い道のりの中で、一歩ずつ踏みしめて登る時もあれば1段抜かしで駆け上がるときもある。

踊り場でふぅ〜・・・と休んだり、ちょっと気になるドアを見つけて寄り道したり。足を踏み外して転げ落ちたりすることなんかも、あるだろう。


今日、私は、今まで経験したことの無いような高速エレベーターに乗った。いや、そんな生ぬるいもんじゃない、それは宇宙を目指すロケットだった。少し怖かったけど自ら望んで座席に座り、一瞬のうちに時を越えた。そして1時間半後に、ちゃんと現在の場所に戻って来た。学んだことを実践するために。


もしかしたら2年も3年もかかって登っただろう人生の階段の、辿り着いたら見えるはずの風景をたった1日で見てきた私。ロケットから降りて、頭も心もまだフラフラな状態のまま会った友だちが、暖かく力強い腕で私を受け止めてくれた。そのまま5時間もの間、泣きながら笑いながらついさっき体験してきたとんでもない宇宙旅行の追体験。そのあまりの衝撃のためボロボロになった宇宙服を脱いでみたら、何と私は新しいモビルスーツを身につけていた(笑)。

別れ際、友だちがふと私にくれた、ラベンダーの香りのシアバターバーム。「これでよく眠れるから」と掌に乗せてくれた容器から、ほんのりと良い香りが立ち昇ってきた。


それは、まるで生まれたばかりの赤子のように

やっと目が開き耳が聞こえるようになった私を

「おかえり」と優しく包んでくれたのだった

ぬくぬくしていたい

2007年1月20日
今日から実家。

東京の冷え込みも相当なもので・・・どうやらちらっと初雪が舞ったみたい。だけどこれでも暖冬なのだなぁ。

突然の入院でベッタリ1週間仕事を休み、退院した日には足腰フラフラで1人ではまともに歩くことすら出来なかったのがつい先週の話だなんて・・・。

何だか夢でも見ていたような気分。


昨日、うっとおしかった前髪を切りに行った。いつもお任せの美容師は私とタイプがそっくりの「オトコマエ」な友達(♀)。おしゃべりに夢中になっているうちに、冗談のように短い前髪になっていた。後ろから見ると肩甲骨を優に超えるストレートのロングヘアー、前にまわるとだだっ広いオデコに3センチほどのギザギザ前髪がちょこんと付いてる・・・・。

ど、どうなんだろう。これ。

そんな疑問など微塵も感じない友達は、いつも通り「むっちゃ似合う。可愛い!」とご満悦。そう言えば、自分の髪型を自分で決められない優柔不断な私に対して、客観的で鋭いセンスを駆使して私の個性を引き出してくれる彼女のスタイリングは、最初えっ?と思っても周りから褒められることが多い。私の望むと望まざるとに関わらず、他人に与えている印象は共通するものがあるらしい・・・。

そして、さっそく数人の知人に会った。

皆、例外なく前髪に注目。ちらっと見て、じーっと見て、口々に忌憚の無いご意見を述べてくれた。

「前衛的だねぇ」
「愛嬌があるよ」
「どこまでがオデコ?」
「・・・カッパ・・・」
「自分で切ったの?」
「どうしてまた・・・」

ううーん。し、失敗なの?
お久しぶりです・・・

年が明けて、今年も仕事やプライベートを充実させようと張り切っていたところ・・・

いきなり、入院しました。

9日から12日まで、歩くこともままならぬ毎日。そして昨日まではタカに助けてもらい自宅療養しながら、少しずつ日常生活を取り戻していました。

今日やっと、こうしてパソコンに向かえる気力と体力が戻ってきたところ。明日からいつも通りの仕事をこなしていけそうです。


この、突然降って来た貴重な経験の詳細は・・・

相互の方々にだけ、秘密にて。

ただいま〜

2007年1月3日
我が家に帰ってきました。

終わってみればあっという間だったお正月休み。けれど思いがけなく中味の濃い日々になって、帰る道々に色んな想いが頭をよぎった。眠ろうとして目を閉じても、本を開いても、何だか心がサラサラと風に舞う雪のように落ち着かなかった。

ともあれ、ゆっくりとお風呂につかり久しぶりに自分らしいペースを取り戻せた。大好きなジャズを聴きながら、意識して力を抜くことが難しい奥深い部分まで時間をかけてほぐしてゆく。



はーーーっ・・・・・



明日からまた、仕事が始まる。今年は特別、待ち遠しかった。

そして週末には久しぶりにタカに会える。いっぱい甘えていっぱい話を聞いて、どうしても独りではほぐせない小さな心のこわばりを解きほぐしてもらおう。

ひとまず今夜は、羽毛布団を独り占めしてぐっすり眠る。
毎年、初夢はけっこう気にするほう。

昨夜見た夢は切れ切れにしか思い出せないけれど、一番印象が残っている場面はあと30分で身支度を整えて今いる場所とはぜんぜん違うところに行かなければならなくて焦っていたところ。横にひとり一緒に行く人がいたのだけれど、タカだったような気もするし良く知る女の人だったような気も・・・。もっと色々見たのに忘れちゃって残念。確かなのは「一富士、二鷹、三なすび」とは無縁だったことだ。トホホ〜

大晦日も元旦も、ご馳走を食べた上にロクな運動もしなかったのでフン詰まりになり、所構わず出るガスがこの世のものとは思えない醜悪な香りを漂わせていたので困っていたら、今日は1日で3回もお出ましになった。体も人生も、余計なものを捨てると何てスッキリするのだろうと実感。素晴らしき哉、人体のシステム!

昨日近所の神社に初詣に行ったとき、もう10年以上引くのを止めていたおみくじを引いてみた。「吉」を頂戴して、久しぶりに読むその独特の文体を楽しみながらじっと読み、境内に結んで帰ってきた。一緒に行った弟の彼女が、おみくじって引いたときはじっくり読んで納得するのに、どうしてすぐ忘れちゃうんだろうと言っていたけれど、本当にその通り。1日経った今、覚えているのは一言二言だけでちょっと悔しい。もったいない。でも、腑に落ちてからすぐに忘れるということは、日常生活で意識的でも無意識にでも実行しているんじゃないかな。だから今まで通りでいいんだと思うから覚えていない。とか。

ともかくも、すっかり気を良くした昨日に引き続き、今日はさっそく嬉しい出来事があった。実に1年以上も会いたいけれど会えなかったという友達と会って、ランチとお茶を楽しみながらお互い人生の途中経過を報告しあった。けれどぜんぜん物足りない。まだまだ、いくらでも語り合いたいことが出てくる。三日三晩一緒にいても別れ難いだろうけど、正月2日なんて誰もが忙しい時に会えただけでも時の巡り合わせに感謝せねばのぅ。

彼女は、私の窮地に現れて重く沈みそうな心をサーッとさらって洗濯機に入れて、脱水して物干しにかけてパンパン!と叩いてくれる人。「ほーら余計な汚れが取れたよ、新しく生まれ変わったね、もう大丈夫!」と教えてくれる。私のスーパーウーマンだ。いや、私らは2人とも自他共に認める「男前な女」だからスーパーマンで差し支えないか。

全くもって、生きてゆくということはややこしいことの連続だ。だけど有難いことに独りきりではない。たとえ真に孤独だと思う時があっても、必ず誰かが私を思ってくれている。案じて気にかけてくれているのだ。その想いを受け止める技量も磨く必要がある。

私の大好きな言葉。

求めよ、さらば与えられん。


少ない人生経験ではあるけれど、これほどまでに私を迷路から力強く引っ張り出してくれる光は、そうそう無いことを学んだ。

今日会えた友達は、澄んだその瞳の中に、いつもその暖かい光を携えている。それを私に見せてくれる。

みんな、何か支えを見つけなくてはね。それは誰か、ではなくて、誰かが持つ何か。誰かを通して心が感じ取る、何かだ。

大晦日の大団円

2006年12月31日
「日本人だなぁ・・・」としみじみ感じる、大晦日。



我が家では何十年もの間、年越しそばを食べながら「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聞いて、厳かに新年を祝うのが恒例になっている。そして今夜も、苦しいことが多かった戌年を笑顔で見送り、新しい亥年を静かに招き入れた。

昨日の毒吐きモードから一転、今日は穏やかな気持ちで明るく過ごすことができた。ベッドで寝たきりの母を中心に家族みんながまとまって迎えた大晦日。テレビのチャンネルをあちこち変えながら美味しいお酒とたくさんの料理を食べ、大声で笑ったり知ってる歌を口ずさんだり。その間も誰かがしょっちゅう母に気を配っていて、手を握ったり何か食べさせたり体をさすって話しかけたりする。母はほとんどの時間をうとうとと眠って過ごしているけれど、今日が大晦日でみんなが集まっているということは認識しているようだった。呼びかけに言葉は返ってこないけれど表情で判る。今日は笑顔をたくさん見せてくれた。

私は昨日の自分を振り返って、必要の無い感情を捨て少しだけ笑顔と言葉を増やした。やってみれば驚くほど何の障害も無く、ずっと私らしくいられて楽ではないか。あぁ良かった。もうこれでいい、これ以上は無理に繕わない方が自然でいられる。誰かとの付き合いが上手くいかないとき、相手の悪いところばかりに目が行きがちになる。それをすっかり止めて、良いところばかりを探そうとすると180度違ってくる。受け止めるものも、与えるものも。それって良く聞く話だけれど、ああ〜本当だわ!と実感。


父は、美味しい日本酒を適度に飲み気持ちよく眠った。

弟と彼女は食事の世話を一生懸命してくれ、家に帰った。

母は落ち着いた寝息を立てている。




私はゆっくりとお風呂に入り、こうしてブログを書いている。今はもう、日付が変わって2007年の元旦。みなさん、新年明けましておめでとうございます!!今年も気が向いたら遊びに来て下さいね。

実家に帰っているタカからは、日付が変わる12時前にメールが来た。いつもと変わらない無駄のないメッセージ。そういうところが好きだ。私も20年前とはもう違って、新年を迎えたからと言って特別に何か変わったことを言ったりしたりするのが好きじゃなくなったから。ただ自分の心の中でひっそりと、けじめと言うか区切りがつけばいい。この新しい1年も、何が起きてもますます冷静に芯を失わず対処していきたい。私を良く知らない人から「あの人って冷たい人だよね」と言われるほどに。

薬は大っ嫌いだけど

2006年12月30日
さて、今日から実家。

今年は母が病気ということでお正月が来ると言ってもお祝い気分にはなれず、ただ一応の節目だから形式だけでも年越しそばやおせちの段取りをつけようと思っていたところ、おばがあれこれと料理を作って持ってきてくれたり弟の彼女が元旦にお雑煮を作るとやる気満々。有難いことです。

そうよねぇ・・・有難いことなんだわよねぇ・・・

弟と彼女は、これまでも週末ごとに足しげく母の見舞いに来てくれあれこれと世話を焼いてくれていた。彼女は煮物など父母が好む料理を上手に作ってくれたり、父の晩酌の相手もしてうまくコミュニケーションも取れているようだ。

私は月に1度程度しか来ないし、母が倒れてから起きたすったもんだの末もう父や弟とは心から分かり合える関係ではなくなってしまったし、今となっては私の居場所はこの家には無いように思えて仕方がない。まぁ、私が勝手に変な引け目を感じていると言えばそれまでだけど、だからと言ってそれを払拭するために父や弟に腹を割って話してみたところですんなり変わるとは思えない。もう、そうまでして付き合っていきたくないというのが今現在の本音だ。

いつか母が旅立ってしまったら、父と弟のことは彼女に任せて私は遠い外国に暮らして、もう実家には一生帰ってこなくてもいいようになりたい。こんなことを真剣に夢見ているとは父も弟も知る由もないだろうけれど、これほどまでに私の心はこの家族から離れてしまった。もう全くといっていいほど話せなくなってしまった母を除いて。

しかし、家族と言うものは・・・血が繋がっているということは、何という複雑な関係なのだろう。その捉え方は人によってそれこそ千差万別だが、私にとっての「家族」はもう世間一般の定義から外れ、極少数派の部類に入った。血が繋がっていようといまいと、人と人との関係は詰まるところ魂同士の触れ合いなのだから、根底のところをお互いに理解し合おうと思う結合部分が無ければ関係を維持するのがかなり困難になってしまう。「家族だから」という魔法の呪文は、私にはもう全く意味を成さない。だから以前、この世でたった一人の親(兄弟)なんだから・・・と叔母に戒められた時も、口では判っているといいながら心ではだからどうしたんだと冷め切っていた。

そう、私の態度は世間から見れば冷酷非情に映るのみ。

いやいやもしかしたら、結構そんな人多いんじゃない?

みんな多かれ少なかれ自分を誤魔化しているだけで。家族なんだから仕方ないって諦めて。

いや別に、世間で多いとか少ないとかは関係ないけれど。



よーーく考えてみると、この落ち込みの最たる原因はやはり自分の将来に対する不安に尽きる。コレはもう、どうしようもない!1年後の自分が不幸のズンドコに落ちているのではないかと想像してしまう大きな大きな理由が、今の私にはあるのだ!泣いても笑っても、もうすぐ第一関門をくぐり抜けなければならない。避けて通ることはできないのだ。

ハァ。

こんな今の私に処方してもらえるお薬はないものかのぅ(涙)
今年も、タカとクリスマスを過ごした。

週末はいつも一緒にいるのだから、特別に浮き足立つような気分だったわけじゃないけれど・・・

2人ともイベント好きだからアレコレと楽しんでいました。

まずは今年のクリスマスプレゼント、あらかじめ買っておいたペアのネックレスのまだそれぞれのヘッドがくっついたままだったのを、2人で接続部分をゆっくりと折り曲げて2つにした。タカは皮のチョーカーにし、私はそのままシルバーの鎖。お互いの首にかかったネックレスを見ると何だか照れ臭い・・・2つを合わせて出来上がる文字は「Partake in each other’s happiness」〜お互いの幸せを分かち合う。この言葉通り、これからもたくさんの喜びを分かち合えますように。

そして、2人ともちょっとお洒落して街へ出掛けた。普段スニーカーばかり履いている私は、5センチのピンヒールブーツに悪戦苦闘。それでも世界最大級のツリーを見てはしゃぎ、グリューワインを2杯も飲んで上機嫌。夜は、予約しておいたイタリアンレストランでクリスマスディナーに舌鼓を打って、まるで映画の1シーンのような時間を楽しめてとっても良かった!

翌日はスケートをして遊び、街のあちこちにあるツリーの前で写真を撮りまくった。それからデパ地下でクリスマスケーキを買ってタカの家に帰りお家ディナー。メニューは渡りガニのトマトクリームパスタとチキンのグリル・バルサミコソース。乾杯はガンチアのスプマンテでイブの夜を祝った。相変わらずタカの料理は抜群の腕前、イタリアンのコースより美味しかったりして・・・(笑)



タカと過ごす、3度目のクリスマス・・・

今年も繋ぐ手のぬくもりに祈るような幸せを感じていた。


タカの笑顔、聞きなれた落ち着きのある声、私を抱き寄せる腕の感触、うなじの匂い、少し離れたところにいる時の気配と、口に出さなくても伝わる気持ち。

その全てに、心から感謝の気持ちが沸き起こってくる。ただただ、ありがとうと思う。言ったら気持ち悪がられるから言わないけど、タカがいてくれて良かった。タカに出会えて良かった。

そんな心の声は、祈りに形を変えてゆく。

それ以外にも、私の心を離れない強い祈りの気持ちがあって・・・

遠く離れた場所で、命の炎を揺らめかせている私の母に。

そしてもう1つは、タカと私の近い将来の道に。




ああどうか、私の愛する人たちがたくさんたくさん笑ってくれますように。そして流す涙は1滴でも少なくありますように。

星とサックス

2006年12月14日
街を歩けばイルミネーションだのケーキだのが目に入り、あちこちで否応無くクリスマスムードを盛り上げられる。

そんな波に乗っかって無邪気にはしゃげたのも、浮世のしがらみや社会通念などに縛られる前の、子供の頃だった・・・(遠い目)

ああ〜。

とっととやること済ませて開放された〜〜い!

でも遊びの予定も目白押しなの〜〜!


去年の年賀状の束をコタツの上にどっかりと乗せたまま、宛名書きすらまだ始めていないと言うのに明日の夜はちょっとしたイベントに行って来ます♪

プラネタリウムの中で、ジャズライブ。

定員が少ないので抽選だったんだけど、運良く当たりました。タカと2人でこの初めての体験を楽しんでこようと今からワクワク。大好きなものを1度に2つ見ることができるなんて、ダブルのアイスクリームを独り占めする気分。

そして、明日はタカの家に泊って土曜日はそのまま実家に帰ります。約ひと月ぶりに母に会える・・・寝たきりではあるけれど、少しでも喜ばせたい。


羽毛の掛け布団を出したら、毎晩ぬっくぬくでよく眠れる・・・

ひと足早く・・・

2006年12月11日
ひと足早く・・・
クリスマス気分を高めてきました・・・☆


タカと2人で見てきたイルミネーション。

そう言えば、2人で初めて迎えたクリスマスに見に行ったっけ。去年は何だかんだで機会を逃して行けず、そして今年。付き合い始めて2年半になるんだなぁ〜なんて思いながら、煌くイルミネーションの光を見上げていた。黒々とした夜空にこんなにも鮮やかな粒々が浮かび上がる様は、いかにもたくさんの人の手がかかっている傑作という雰囲気が滲み出ていてとっても綺麗だった。

その街を半日ブラブラして、坦々麺が美味しいと評判のお店に行ったり、屋台のケバブにかぶりついたりと美味しいものに目が無い私達は目だけではなくしっかりと舌でも楽しむことを忘れなかった。タカは「テハヌーといると太っちゃう」と人のせいにするが、寝起きでも大盛りカレーをペロッと平らげる食いしん坊なんだから仕方ない。私も同類だけど。それにしても、ノロが治って本当に良かった・・・。カロリーは気にしながら食事してるけれど、何よりもやっぱり「美味しく食べられる」健康な体があることに感謝せねば。


それから、嬉しい事がもうひとつ。

今年のクリスマスプレゼントに、念願のペアネックレスを購入したよ〜♪

ずっと前から、私はタカとお揃いのアクセサリーを身につけたいと思っていたのだけれど、自称ロッカーで妙に硬派(?)なタカはいつもシブっていた。それがこの前、「チョーカーならいいな」と言うので色々見て廻って探したらとっても素敵なものを見つけたのだった。それは、2個のネックレスのトップ部分がまだ薄ーくくっついていて、買った後自分達で割ってそれぞれに使うというちょっと面白いもの。手で何度か上下に曲げれば簡単に割れるらしい。表と裏には同じ文章がデザインを変えて彫られていて、ふたつ合わせると意味がわかるようになっている。それは英語で「喜びをふたりで分け合う」というようなもので、ちいさーいブルーダイヤが1個ずつ埋められている。それには「幸せになれる」という意味があるらしい・・・由来は知らないけど。

ペアネックレスは普通2個セットで売られているけれど、こんな風に買った時はまだひとつにくっついていて、それを自分の手で2つに分けてそれぞれが持つってちょっと意味深。無くした半分を相手が持っているって・・・出会った意味そのもののよう。

まぁともかく2人ともひと目見てそれが気に入り、タカの方はさっそくチェーンを外して細い皮紐を通しチョーカーにした。

今、それはタカの家にある。

まだくっついたままで。

クリスマスを迎える夜に、ネックレスを分けよう。キャー、何だかベタだなぁ〜〜〜



でも、すんごく嬉しー!

ノロ!ビリー!!

2006年12月7日
行って来ました、ビリー・ジョエルのライブ。

もう最高! 長年の夢が叶った!!

という

大感動の体験だった・・・・



のですが。



何と言う間の悪さか、月曜日にエクスと一緒に飲みに行ったお店で食べた生蛎から、ノロウィルスに感染。潜伏期間を経てちょうどビリーの日の朝、突如として吐き気と下痢に襲われたのでした・・・(号泣)

当然エクスも酷い症状を呈しており、ライブが始まる夜7時頃彼は最悪の体調。寒気と頭痛と吐き気のする中、ビリーの名曲を楽しんで(?)いたのでした。

私は驚異的な回復力を発揮し、2時間以上も続いたライブの間中立ちっ放しでノリノリに踊っていました。そう、今回は座席が夢のような場所で、アリーナのど真ん中前から2列目!!!今までで最高の席でした。当然、ビリーの細かい表情までバッチリ見えるし、何度か目が合ったりしてもうその度に「ビリーーー!!」と叫んでいた私。どの歌も全て名曲ばかりで、思わず何度も泣いてしまったくらい。アンコールのラストで歌ってくれた「ピアノマン」は、完全にタイムマシンとなり私をティーンエイジャーのあの頃に連れ戻してしまった。楽しかったこと、辛かったことが大波のように押し寄せてきて、今目の前でビリージョエル本人が生演奏で歌ってくれているこの歌に、何度支えられていたかを思い出してトリハダがたった・・・。私の人生に、ビリージョエルがいてくれて本当に良かった・・・。


ライブが終わり会場の照明がつくと、エクスも私もガックリと椅子に体を沈め、反作用で襲ってきた頭や体中の痛みに弱々しく悪態をついた。元気なら、興奮冷めやらぬままあれが良かった、これも良かったと夢のような時間をフィードバックして噛み締めるのに、当然そんな気力も無い。トボトボと電車に乗り、乗り換えの駅からはもうタクシーで家まで帰った。


満月から少しだけ欠けた月が、妙に優しく切なく見えたビリーと会えた夜。苦しかったけどやっぱり・・・最高に幸せ!!
タカと一緒にすることで、大好きなことはたくさんある・・・

肌を合わせてひとつになることは、いつもいつも極上の幸せ。2年半の月日が経ってもまだマンネリ化していないようだ(笑)。

手を繋いだり、おはようのチューをしたり、2人が好きなバラードにあわせて抱き合ってステップを踏むのもだーい好き。けれど、それとは少し違う感覚で特別好きなことがある。それはグルーミング。

私は時々、タカに耳掃除をしてもらう。私の耳垢はカサカサタイプで、耳の壁にまるで日焼けした皮膚がペロンとむけたようにくっついている。それが、自分で掃除してもなかなかうまく取れないのだ。耳掻きで取ろうとしてもうまくひっかからないと剥がれてくれない。結婚していた時は、エクスが面倒を見てくれていた。ピンセットを使って上手につまみ取ってくれる。距離感がつかめない暗くて小さい穴にピンセットの先を降ろす作業は、ちょっと目測を誤っただけで敏感な耳の皮膚に激痛を与えてしまう。エクスは何年にも渡って根気強く、私の耳の穴が塞がらないように耳垢を取ってくれたのだった。あれはもう、熟練の職人技だと思う。

離婚して一番真剣に困ったことは、このやっかいな耳掃除のことくらい(笑)。タカと付き合うようになってからも、何故かすぐには「耳掃除して欲しい」と言い出せなかった。慣れない人にやってもらうのが、とっても怖いから。ところが最近になって、ひょんなことからとうとうこの仕事をタカが引き受けてくれた。ふと思い出しては「テハヌー、耳見せて」と私の頭を膝の上に乗せてくれる。始めは絶対に痛くされると思い込んでいたから全身が極度に緊張して力が入っていたけれど、今では気持ち良く目を閉じていられるようになった。エクスとタカ、共通点はどちらもB型というだけでなく手先も器用ということだった。ちなみにタカは、私の鼻毛も管理してくれている(←そんな女でいいのか、私は・・・)

私はと言えば、タカの背中にお灸を乗せてあげたり足マッサージをしてあげたりするけれど、この間タカが料理中に親指を切ってしまい、お風呂に入ると沁みて痛いと言うので髪や体を洗ってあげた。とりわけ髪は気持ち良かったみたいで、くったりとリラックスしていつまでも動かなかった。また、やってあげよう。私も洗ってあげるのがわりと好き。こっちまで気持ち良くなれるんだもん。

そう言えば、ネコが良くせっせと毛づくろいをしているけれど、あれは自分の匂いを消して狩りに備えるという本能なんだけど、もうひとつショックを受けたり怖い思いをした時に、気持ちを落ち着けるという作用もある。子供の頃に母ネコにいつも舐めてもらっていた記憶が心の安らぎに繋がるのだ。

そうだよねぇ・・・人間だって、同じだよね。

四半世紀越しの念願

2006年11月29日
いよいよ師走の声を聞こうかというこの頃。

冷え込んできたからいよいよオコタが必要かなと、部屋の掃除からせっせと始めて出し終えた先週末。けれどそれから、生暖かい日々が続いていていきなり有難みが薄れる。とは言え昨日の夜は、空腹の勢いのまま大量に作ったスープスパゲッティでお腹が膨れ、オコタにごろんと横になる幸せを噛み締めた。ところが噛み締め時間が長過ぎて、気がついたら1時間もそこで眠ってしまい体はダルダル、顔も洗わず歯も磨かず当然お風呂にも入らぬまま夢遊病者のように布団を敷き、その中にバッタリ倒れこんだ。不健康なことこの上ない。大反省。食べ過ぎ+オコタの組み合わせに気をつけろ!!



さて・・・

この間、エクスと飲みに行って勢いでカラオケへ突入。

それというもの実は、ちょうど1週間後にコンサートに行くのであった!!

誰の?

へっへっへー。何を隠そう、あの!!



Billy Joelなのよ〜〜!!!!



私、彼の大ファン。ずーっとずーっと、ビリーの歌は私の心を支えてきた。私の青春は彼の名曲の数々をなくしては語ることができないのです。

当時もちろんCDなんて無骨なものは無く、ビリーの新しいアルバムが出るとレコードの針を新しいものに変え、黒々と美しく光るLP版の上に息を止めて針の先を乗せたものだった。

大きなヘッドフォンを頭につけっぱなしにして3時間も4時間も、ビリーの歌声に体を預けていたあの頃・・・歌詞カードをむさぼるように読みながら一緒に歌い続けた結果、ついには英語の発音が格段に上手くなった。教科書よりもビリーの歌詞から覚えた英単語の方がずっと多かったのも当たり前だ。だから彼は、私の英語の先生だったとも言える。実際にその数年後、ロサンゼルスに遊びに行った時に乗ったタクシーの運ちゃんに、「あんたの英語はいかにもアメリカ人らしいね。アメリカンイングリッシュそのものだよ」と言われたのでした。

ああ、そんなビリーのコンサートがいよいよ来週の水曜日に迫ってきた。何と約25年もの歳月が流れ、今になって始めてライブを見ることができるなんて。自分の人生の歴史をしみじみと感じてしまう・・・。

一緒に行くのはエクス。初めにタカを誘ってみたけれど、彼にとっては「ビリージョエル?誰それ」くらいの感覚で、あの名曲オネスティもCDを聴いて「ああ〜これがそうなんだ」と気づいたくらい。Oh,No!!アンビリーバボー!よ。まぁ、考えてみればこれがジェネレーションギャップ。チケット代をシブってどうしようかなぁなんて言ってるタカをそれ以上誘う気も起きず、それじゃあとエクスを誘うと、ふたつ返事で「行く!」と言ってくれた。彼は私ほど入れ込んだファンではなかったけれど、やはり私と同じ世代だからタイムリーにビリーの歌に触れてその魅力を知っていた。


今回のコンサートは東京・大阪・名古屋・福岡・札幌の5大ドームツアー。昨日、東京でそのスタートを切った。関連サイトでセットリストを見たら、どれもこれも大好きな曲ばかりで既に心臓がドキドキ、興奮モードに突入してしまった!!

あと1週間・・・ああ、こんなに待ち遠しいことが最近あっただろうか!?


やるべき仕事を、がんばってやろうーーー!!

ウキーー!!

2006年11月18日
晩秋のお休みは、もし晴れたりしたらそれはそれは貴重だ。

何しろ一年中「お外で遊びたい病」な私は、爽やかな風と汗ばむほど暖かい陽射しに誘われれば居ても立ってもいられない。

そんな土曜日。予報によれば、晴れ時々くもりのはずだった。

1時間ほどで行ける山に、滝と紅葉を見に行こうと前々からタカに念を押していた私。今朝、休みの日は12時前に起きることはないタカをせきたてて目覚ましがなる前にベッドから飛び出してカーテンを開けると、空はどんよりと曇ってはっきりしない顔をしていた。

予報にブツクサ文句を言いながらも、とにかく出掛けた。30分ほど車を走らせて駅前の駐車場に停めてからは、山の中腹にある滝まで約1時間ほどの程よいハイキング。途中にはいくつかの茶屋が並び、秋の味覚の焼き栗や焼き芋を始めたくさんの野菜や果物が売られていて、食欲を満たしながら目でも楽しめる楽しい道のりだった。

ただ残念なことに、紅葉にはまだ早かった・・・(涙)タカの家の前に並ぶ街路樹はもうすっかり紅葉が進み、落ち葉が道を塞ぐほどだったから山の上ではさぞかしと思っていたけれど、どうやら里の方が早かった!いや、もしかしたら樹木の種類が違うせいかな。

それからもうひとつ。

思いがけない襲撃にあったのよっっ!

実はそのハイキングコース、野性の猿が出る。

そのポイントに差し掛かる前に、親切な男性が私達の持っている飲み物やちょっとしたお菓子が入った袋を指差して、「この先には猿がいて袋を下げて歩いていると襲われるから隠して行きなさい」と教えてくれた。

私達は、その話し方から察して「この先」というのは少なくとも300mとか500m先のことだと理解した。いや、きっと誰が聞いてもそう受け取っただろう。

件の男性には、親切な人もいるものだとお礼を告げて、歩き出すこと50メートル足らず。緩いカーブを曲がったところに何やらポツポツと人が立ち止まっている。

そう、すぐ目の前に猿の一家がワラワラと動いているではないか。



あっ・・・マズイ・・・と思った時には、既に不利な位置にいた私達。目の前は猿たち、後ろは崖。

ほんの数秒、人間と猿の間に緊張した静寂が走った。

私の目には、まだ子供の小さな猿がトコトコ・・・と近づいてくるのが見えていた。何か所在無げに、私の顔を見ることもせずにどちらかと言えば私にはほとんど感心が無さそうな歩き方だった。



次の瞬間。



私の手にぶら下がっていたビニール袋に入った「明太子パン」が、狙われた!思わず手を上に上げると、小猿は私の背中をタタタッと駆け上り袋をひったくろうとするではないかぁっっっ!!

気がつくと、まんまと獲物を仕留めた小猿は少し離れたところに座り込み、器用にパンの袋を破くと美味そうに食べ始めたのだった。
一緒に入っていた秋限定の栗ポッキーの箱も、猿の足元に転がっていた。



ムキーーーーーーッッ!! 何なんだよ、お前ーーー!!!!

はっとしてタカを見ると、彼は彼で呆然と立ち尽くしていた。何で助けてくれなかったのと詰め寄ると、別の猿に襲われていたらしい。でもペットボトルしか持っていなかったから早々に興味を失われて無事だったそうな。そんなこと、全然知らなかった。私は自分の身とパンを守ることで精一杯だったんだもん。パン、盗まれたけど。

パン・・・盗まれたんだ・・・


今書いてて、何だかまた腹立ってきた!


そりゃあ猿たちも生きるのに必死なのだろうさ。

けど。けどね。

人間の世界じゃ、それはドロボーって言うんだよ!



全く、助言してくれたオヤジもオヤジで中途半端な言い方しないで、「すぐそこに猿がいるから今すぐその袋を隠しなさい」って言ってくれればいいじゃない!




・・・・八つ当たりッス。







ああ、恐かったよぅ(泣)

滝を見ながら食べようと楽しみにしていた食料を捕られた私達は、しょんぼりしながら歩きましたとさ。紅葉も、猿を忘れさせてくれるほど綺麗じゃなかったし。

まぁ、たこ焼きを買って食べたら気が済んだけど。

人生で初めて、猿と対決して敗北を喫した日でした。

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