美味しい幸せ

2007年6月26日
今朝は寒くて目が覚めた。風呂上りが熱いからといって、髪を乾かした後に寝室の小窓を開けっ放しにしたまま眠るのはダメだろうか・・・。いつのまにか足元に小さく丸まっていた薄い羽根布団をずり上げて、つかの間の二度寝。

電車の中で何度となく手帳を眺めるこの頃。いくら見直してみたって「忙しい」現実は消えてくれない。これって・・・・ぜーんぶ自分が仕組んだことなのよね。この日にこれをしようって、楽観的に立てたスケジュール。だってできると思ったんだもん。

こんな時、台所に立つと疲れで集中力を欠くせいかとんでもないものができたりする。要するに失敗作だ。ところが今の私には料理の神様が微笑んでくれてる。最近、忙しいながらも作る料理がぜ〜んぶ美味しい!名古屋で食べた味を思い出しながら作った鶏手羽先の甘辛煮、ゴーヤとなすと厚揚げの炒め物、なすとしめじのトマトソースパスタ、オムレツ、アボガドとプチトマトのバルサミコドレッシング和え・・・。仕事を終え、一日の終わりに何が食べたいのか自分にお伺いを立てながら材料を揃えて作るのだから、美味しくできるに決まってるかもしれない。生半可な知識に振り回されずに体が欲しがっているものを摂ってあげる、それは毎日がんばってくれている私の体にできる思いやり。

で・・・。美味しくできたものの極めつけは、梅ジャムなのだ!

去年漬けた梅酒の梅をジャムにしたら、今年も文句なしの出来になった。保存料も添加物も一切加えないこのジャムが、これからしばらくの間は朝食のトーストを贅沢にグレードアップしてくれる。そして週末には、今年の青梅でまた新しい梅酒を仕込むのよ〜〜♪

明日は帰りが11時過ぎてしまうはず。さて体は、何を要求してくるかな?

さあ、来い!

2007年6月19日
髪を切った。

もちろん、ちゃんと美容師さんに切ってもらった。


もう少しで目にかかりそうだった前髪は潔くオデコの半分の位置で一直線に・・・

肩甲骨に充分届くほど長かったストレートの黒髪は、20センチは切っただろうか、ドライヤーの時間も大幅に短くなった。


梅雨のジメジメした毎日がもう始まってる。

約ひと月後には、オゾンホールを突き抜けて容赦なく紫外線が降り注ぐ真夏がやってくる。

プライベートではイベントがひとつ終わってホッとした感あり。

仕事に関しては一歩踏み出したらそこにたくさんの「お題」が落ちていて、ひとつひとつを拾い上げては眺めつつ「う〜ん」と唸る日々。


たかが髪を切っただけだけれど、気分は全店リニューアルオープン!


よし、来い!

さあ〜、来い!!

エコのそよ風

2007年6月10日
ここひと月の間、メールチェックなどの必要最小限でしかパソコンを使わなかった。

その大きな原因は、マルコとトゥーラの来日。一緒に出かけていたこともあるけれど、彼らと少しでも話がしたい一心で毎日英会話の勉強に時間を割いていたせいだ。

ところが、広東語の時も思ったけど言語習得への道はそう甘くはない。単語カード2冊分の表現方法をひと通り理解して、よっしゃこれでたいていのことなら話せるだろうとタカをくくっていたらやっぱりダメだった。ボキャブラリーの少なさは、一朝一夕でカバーできず。ローマも外国語も1日にして成るわけではないのだ。あな、くやし。英会話習いに行っちゃおうかしら。

それにしても、マルコとトゥーラが来てくれたおかげでたくさんの楽しい経験をしたなぁ。海外で売られている日本のガイドブックには、日本人が知らないようなスポットが盛りだくさんに書いてあるらしい。例えば京都では、地元の人達しか知らない古くから続く銭湯に行った。昨今流行のスーパー銭湯や洒落た日帰り温泉などではなく、そこは私が小学生の頃しょっちゅう行っていたおばあちゃんちの近くの伝統的な銭湯の面影を色濃く残している。壁に富士山の絵こそ書いてないけれど、下駄箱は木の札だし、番台を思わせるカウンターや荷物入れのカゴ、扇風機や体重計、休憩室の欄干に施された見事な透かし彫りなどが古き良き昭和を懐かしく思い出させてくれた。肝心のお風呂は、ちょっと今時を意識してか泡風呂や薬草風呂や電気風呂などがあり、高い天井を見上げると男湯との仕切りになる壁の上部が開いていて、耳を澄ませるとタカとマルコが話しているらしき英語が聞こえてきておかしかった。外に出れば、小さいながらも露天風呂がしつらえてある。総檜風呂もいい香りがして気持ち良かった。

そんな銭湯からポカポカダルダルの体で外に出ると、そこは静かな京都の下町。一瞬、どうして私はこんなところでお風呂から出てきたんだろうという不思議な気持ちになる。帰り道、この辺りには長期滞在用のゲストハウスがいくつかあることに気付いた。なるほど、海外のガイドブックにこの銭湯が紹介されているのはバックパッカーの口コミだったのだ。住み慣れた場所も、外から見ると全く違う表情を見せると言うもの。

そして、マルコとトゥーラに影響されて私が買ったものと言えば・・・。

携帯箸。

彼らの母国フィンランドは、福祉や環境問題についての意識がとても高い。一緒にスーパーに行った時、コーヒーフレッシュが一回分ずつのポーションタイプで売られているのを見てトゥーラが「信じられない」と頭を抱えた。こんな売り方をしたら、大量のゴミが出るじゃないかと。フィンランドでは節水・節電も子供の頃から徹底的にしつけられる。ゆえに、彼らが京都の町を散策していて、とあるお店に入った時に携帯用の箸を見つけて迷わず購入したのは、ごく自然な成り行きだったはずだ。

私も、レストランでバイトした時に、テーブルを片付けながら集めた大量の割り箸に辟易したことが何度もある。大きなポリバケツがたちまち使用済みの箸でいっぱいになって、これが日本中の飲食店で毎日繰り返されているのかと思うと・・・。

先週マルコ達とレストランに行った時、2人がおもむろにかばんから取り出した携帯箸に私は見入った。綺麗で深みのある色をした箸袋から取り出した箸は、ひと目で凝ったものだと判る。あとで調べてみると、それは一本一本が手作り仕上げ。材質は紅木で漆塗りが施してあり、防菌・防水作用が高い。一生愛用して欲しいと願いを込めて作られたこの携帯箸は、もし片方失くしたり箸先が欠けたり漆が剥げたりしたら、修理(有料だけど)もしてくれる。

上の写真はその袋で、お箸は真ん中がねじ式のジョイントになっていてふたつに分かれるから、長さ約10センチくらいになる。持ち歩き安いコンパクトさが素晴らしい!

2人は、初めてお箸を使った時に比べずいぶん上手になったとは言え、まだまだぎこちない手つきで食べ始めた。そして時間をかけて食べ終わり、使った箸の先を紙ナプキンでていねいに拭き、ジョイントを外して箸袋にしまった。それを見ながら自分の割り箸を紙袋に入れてテーブルに置いた私は、ちょっと複雑な気分。そうか・・・マイ箸。持ったらいいかも知れない・・・。

そして今、私のかばんの中にはマルコ達が買ったのと同じこの「八四郎」(ハシロー!)の携帯箸がある。あの日、家に帰ってすぐネットで色々調べたけれど、初めのうちは正直「八四郎」は高くて手が出ないと思っていた。でも、実際に目の前で現物を使っているのを見てしまった私は、他のどの携帯箸も霞んで見えて・・・一晩と一日じっくり悩んだ末、清水の舞台から飛び降りちゃいました!

その、お値段は・・・

箸の材質によって異なるので、こちらをドゾ↓

http://www.hashikyu.com/index.html

私はここで、「楓」のお箸と泥染めの箸袋を買いました♪

こちらにもあります↓

http://www.suzuto.co.jp/hashiro/index.html


普段家で使っているお箸のことを考えると、なかなか手を出しにくい値段・・・。でも実際に手にとって使ってみた結果、これにして良かったと大満足。環境に良いのももちろんだけど、「食べる」ということをとっても大事にすることができるなぁと思った。特に外食となると、ついつい時間に追われたり惰性で食べたりするけれど、こんなマイ箸を使うだけで気分が違ってくる。特にエコに目覚めたというわけではないけれど、これで少しでもゴミを減らせると思うとやはり嬉しい。

そして何よりも、これでマルコ達と対等に外食できる気がするのだ。だってトゥーラなんか、「あなたたちお箸の国の人が、こんないいもの使わないなんて」ってな顔してニッコリ微笑むんだもの。

そんな彼らも、1ヶ月の滞在を終えいよいよ帰国の日が近づいてきた。

明日はマルコ達とタカと私で、しゃぶしゃぶを食べながら最後の夜を過ごす予定。それからそのまま私の家に泊まって、あさっての朝早い便で帰国の途に着く。

しゃぶしゃぶ店で、私がおもむろにかばんから携帯箸を取り出した時の、マルコ達の反応を見るのが楽しみ〜〜!!となると、割り箸を使うのはタカひとりだ・・・。ムフフ。3人でタカを言いくるめて、マイ箸派にしちゃおう!
月曜日のこと。

遠くフィンランドから待ちに待ったお客様、マルコとその彼女トゥーラがとうとうやって来た。

タカの友達である彼らのことは事あるごとに聞いていて、誕生日のプレゼントを一緒に選んだりクリスマスカードを書いたり、最近ではネットでテレビ電話もしたりしていたのでもうよく知っている人のような気がするほどだった。

朝、早起きしてタカと2人空港まで車を飛ばして迎えに行きドキドキしながらゲートで待つと、2人が現れた。まるで、パソコンの画面から出てきたような変な気分になる。固く握手をすると、本物の実感がいやでも湧いてきた。タカは、研究滞在で1ヶ月間フィンランドにいたときに知り合ったマルコと4年ぶりの再会に抱き合って喜んでいる。

それからその日は夜遅くまであちこち遊びに行く。時差で昼夜が全く反対なので、移動の車の中ではマルコもトゥーラもぐったり眠っていたけれど、夜にはスーパー銭湯に入り旅の疲れを落としてもらった。フィンランドにはこういうスタイルのお風呂は無いけれど、サウナの本場。タカはマルコと男湯にある2種類のサウナに入ったが「80度近くあるのにぜんぜん平気な顔してた」らしく先に音を上げた。どうも母国のサウナは平気で100度くらいあるみたい・・・。

一方女湯では、頭の中が外国語と言えばもう長年使っている広東語にしか切り替わらなくなっちゃってるのを、2人が来ると決まった時から付け焼刃的に勉強した私が、つたない英語を駆使してトゥーラに銭湯の楽しみ方を説明するのに必死だった。そんな私の話を、心優しい彼女は雪のように真っ白い顔を露天風呂で真っ赤に染めながら良く聞いてくれる。大学で日本語を専攻して、卒業してからも独学で勉強を続けているトゥーラは、岩風呂に入りつつも壁に貼ってある注意書きなどをまじまじと読んで「勉強、勉強」と笑う。マルコもトゥーラも、会ってみたらその素朴でエネルギッシュな人柄が溢れていてすぐに好きになってしまった。

夕食はタカが腕を振るい、特製ひつまぶしと豚汁を作る。日本の古武術を習っているマルコが正座して食べているのが面白い。2人ともまだお箸がうまく使えず、気の毒なほど一生懸命食べている。これから1ヶ月間の滞在で、きっと帰る頃には見違えるほど上手になっているはずだ。日付が変わって世も更けてからようやく眠った2人・・・これから大きな荷物と一緒にあちこち移動しながら日本を楽しむ予定。きっと忘れられない楽しい思い出になるね。

北海道と同じくらいの国土に東京都と同じくらいの人口しかいない国、フィンランド。夏は白夜で、冬は日中も薄暗い国、フィンランド。首都ヘルシンキは美しく、郊外の森と湖は信じられないほど美しいという国、フィンランド・・・・。

そんな地からようこそ、友よ。まさか日本で会えるとは思ってもみなかったのに。出会えた縁に心から感謝です。その機会を作ってくれたタカにも・・・。

そして、明日からは。

マルコ達もタカと私も、東京へ。週末の三社祭を見に行きます!こんなダブルデート、なかなかできない。むちゃくちゃ楽しみで、ちょっとだけ英語が気がかり。何しろ私がダントツで下手っ!みんなが笑ってるのに私だけ入れないって悲しすぎる。

まぁ・・・もう今となってはしょうがない。

2度と無い時間を楽しんでこよう♪

重いパンチ

2007年5月10日
こないだの週末、ゴールデンウィークの最終日。

実家から大量の荷物と一緒に帰ってきたタカと駅で待ち合わせた。映画でも見ようよということになって、じゃあ「バベル」かな?と劇場に行ってみると思ったとおり大混雑。次の回は最前列しか空いてないと言われ、仕方なく「ロッキー・ザ・ファイナル」を見たのだけれど・・・



やられちゃいました。



熱い涙が、頬を伝ってしまいました。



ロッキーは1作目だけ見て2以降のシリーズをきちんと見ていなかったし、予告から察するに何だかベタだろうなぁ〜とタカをくくって、あまり期待せず肩の力を抜いて見ていただけに。

どんどん展開するストーリーに最初から素直に入り込み、中盤の、ロッキーがうまくいかない自分の人生を父や周りのせいにする息子に自らの思いの丈をぶつけるシーンで、強く暖かい、揺るぎない本物の愛を秘めた言葉のワンツー・パンチに、溢れる涙を抑えることができなかった。


「人生ほど重いパンチはない」


このひと言は堪えた。ロッキーほど、この台詞を口にするのにふさわしい人はいない。説得力がありすぎる。そして、大なり小なり自分の人生から重いパンチを喰らった人たちの傷口を、これに続くロッキーの言葉が優しく強く塞いでゆくのだ。どん底の、地獄の苦しみから這い上がり生還した人だけが持つ癒しの力だ。

負けるな、と人は言う。

がんばれ、立ち上がれ、元気を出して立ち向かえ、と。

けれどその言葉が相手の胸にどう伝わるかは、慎重に考えなくてはいけない。そしてよくよく、わきまえなくてはいけない。だって、そう言ってる本人がヘナチョコな場合が多いんだもの。弱いもの同志の傷の舐め合いは、お互いのためには全くならない。


そして私・・・ロッキーに比べたら、まだまだハナタレ小僧だわ。人生の重たいパンチ、ここまで受けても這い上がって来れるんだから大丈夫だよって、いつか笑って言えるようになりたい。もっともっと、今よりもっと。

ちなみにタカも、全く同じタイミングで泣いてた。あとで「どれが一番泣きのツボだった?」としつこく聞いた私。常々こころに強く思っていることで、他人にはなかなか理解してもらえないことをググッと後押しされると泣けてくるよね。

「バベル」見なくて良かった・・・。浜乙女さんに心から賛同して、「ロッキー・ザ・ファイナル」見るべし!!

天使になれるか?

2007年5月5日
昨日と今日、新しく始めたバイトに行って来た。
新規開院した整骨院の受付です。


それは、もう10年以上も前から親交を暖めていた鍼灸師の友人A先生が、熟慮の末引き受けた仕事。スタッフは一切求人をせず全員がA先生の人徳に集まった人たちだ。私も月に3回ほどだけれど、微力ながらお手伝いさせて欲しいと頼み込んだ次第。このジャンルはまったく経験の無い私を、「テハヌーさんが来てくれたら心強い」と喜んで下さったA先生・・・ついて行きます、どこまでも(笑)!

実際、私にとっては本業に生かすことのできる知識を深め、更に新しい道を開拓することができるかも知れない貴重な職場になるはず。先生方はみな質問には快く答えて下さるし(今のうちだけ?)、月に1度研修会をしてくれるのでがんばってついて行かなければ。どう考えても、スタッフの中で私が一番専門知識が無い・・・。

さて。

これで私は、本業と整骨院の二足の草鞋を正式に履いたことになった。あ、派遣登録しているバイトにも時々行くから三足か。どんだけ働くのだ、私。

この状況・・・忙しくなるに決まっているけれど全然苦にならないのは、本業以外の仕事を収入として考えていないからだろう。食べるために得るお金ではない。この人生で、たぶんもう折り返し地点を過ぎただろう残された時間で、できることは何でもやりたいという私の好奇心が満たされる喜びの方が断然大きいからなのだろう。


え〜、ちなみに私はコスプレ好きです。

で、当然、院内にある大きな姿見に映った自分の白衣姿に、ウキウキしてしまいます。

そこへ来て今日、N先生に「テハヌーさん白衣似合うねぇ〜」とセクハラまがいのことを言われて更にウキウキウッキー!

さあ、私は目指す白衣の天使になれるか??

5月の風、柔らかい

2007年5月3日
ゴールデンウィーク。

毎年の事ながらまとまった旅行などせず(仕事があるからできず)、それでも身軽な今の状況を楽しみたい私は、お天気と相談して1年のうちでも本当に数少ない爽やかな気候を楽しむために、今日、春日大社に行ってきた。

ひとりでフラッと行くのもいいなと思っていたけれど、なりゆきでエクスを誘ったら「それいいね」と言うので一緒に。彼はほぼ1ヶ月休みなしという過酷な労働を切り抜けてヨレヨレだったので、ちょうどいい息抜きになるかと思っていたら、春日大社の広大な敷地を疲れた体に鞭打って歩いたせいで帰る頃にはもっとヨレヨレになってちょっと気の毒ではあったけど・・・。

さて、久しぶりの春日大社はやっぱり素晴らしかった〜。

ちょうど藤の花が見ごろで、快晴の空に淡い紫色が溶け込みそうに綺麗。藤って・・・そう言えば今まであんまりじっくり見たことがなかったかも。子供の頃お正月に着物を着た時、まとめ髪に刺したかんざしに付いていた藤の花を懐かしく思い出した。

そして明日と明後日は、朝から晩まで働く日。

明日はいよいよ新しい仕事の初日だ。決して難しい仕事ではなく、どちらかと言うと得意分野で楽しいはずなのは判っている。もちろん、報酬を頂くわけだから努力が必要。それも長期に渡る地道な積み重ねをコツコツとしなくちゃ。最初の1年間は特に、学べるものは全て吸収しよう。

行きたい場所ややりたいことはたくさんあれど・・・遊びはしばらく、お預けに。

フラれて寂しい

2007年4月27日
会いたいなぁと思う人が、皆ことごとく忙しい。

ちょっと会って、食事してお酒でも飲みたいだけなのに、どうしてみんな揃ってそんなに忙しいのよぅ。

んん?ゴールデンウィーク前だからなの?

私は毎年のことながら、仕事です。まとまった休みなんて取れやしません。とてもいい季節だから、どこかに出掛けたいのに。でもどこに行っても混んでて殺伐とするのだろうけど。

飽きることなく手帳を眺め、誰とも会えず、何にも予定が無い日をどう過ごそうかと思案。そうだ衣替えしなくっちゃ。見たい映画もたくさん家にあるぞ。それに、もうすぐタカの友達がフィンランドからやって来るから、本腰入れて英語の勉強をしなくちゃならないじゃないの。

そのどれもこれもが、こんなにも色褪せて魅力を失くすのは何故?

判ってる、判ってる。

タカに会えないからだ。実家に帰るんだって。

別にいいんだけど。←って、不貞腐れてるじゃん

もうかれこれ3年もの間、タカが実家に帰るたびにどうして私がひどく自己嫌悪に陥らなければならないか。それは、タカが私を家族に紹介しないからだ。紹介できないからだ。

ま、いいんだけど。私はタカのステディではないんだから。タカの希望通りになれば、来年の今ごろは彼はもう日本にはいない。一緒にいられるのももう1年足らずだ。

でもそれも、少し前までは感傷的に執着していたけれど今となってはもうどうでもいい。今年に入ってたった4ヶ月で、私の心のある大きな部分がはっきりと変質したのだ。


色々なことが、あり過ぎた。

何も予定がない空白の一日をそのままにしておくのも、いいな。

本日のそろばん勘定

2007年4月23日
朝、バスに乗って出掛けたら、回数券の残高が100円しかなかった。料金は210円だから足りない。お財布を見ると小銭は60円しかなく、お札は1万円札しかない・・・。ああ、またこのパターンかと思う。なぜだか私は、バスに乗るとき小銭がないことがよくあって、そんな時に限って万札しか持っていないのだ。仕方ない、運転手さんに言わなければ。朝からまたあの、いや〜な気分にさせられるのを覚悟して、渋々声をかけた。

「あのー、回数券下さい。1万円札でお釣りありますか?(無いことは判っている)」

「え?ああー、お釣りねぇ・・無いんですよ。(だるそう)」

「回数券の残高が100円しかなくて、小銭もないんですけど・・・」

「ああー・・・う〜ん、じゃあ帰りにでもその分入れといて下さい。(迷惑そう)」

「はい、すみません・・・」

全て予想通りの受け答え。いつも思うのだけど、バスの運転手ってどうしてあんなに不機嫌そうなのだろう。たまにだけど、運良く気持ちのいい人に当たる時があるが、たいてい何かに苛立っているかのようにぶっきらぼうだ。ひどい人になるとあからさまに腹立たしげな態度を見せる。お年寄りが乗ったのに急発進したり、おばちゃんの問いかけにつっけんどんに応えたりするのを見るにつけ、この人は一体どうしちゃったんだろうと思う。私の住む地方だけだろうか・・・?

もとい、バスの車内で回数券を売ってくれるのは助かるけれど、どうしてお釣りを用意しないんだろう?きっと私の知らない何かの都合でそうなっているんだろうな。けどそれは、利用者にとっては不便に感じるだけのこと。せめて愛想良く応対すればいいものを。

小さくため息をつきながらバスを降りた私。今日という日を気持ちよく過ごしたいから、早く忘れようと思う。それに、このバスには夜はもう乗らない・・・だってタカの家に泊ってたんだもん。このまま自分ちに帰ったら、次にこのバスに乗る時にはもう料金が足りなかったことを忘れている。結局不足分を踏み倒す訳だけど、もう知ーらない。悔しかったらお釣り用意して。それか、気持ちよく応対してよ。


そして、夕方。

提出し忘れていた書類があって、ファックスして欲しいと頼まれる。明後日には職場に行くのでその時でもいいかと訪ねると、急ぐので今日送って欲しいとのこと。ならば仕方ない、家にはファックスが無いのでコンビニから送ることにした。フンフンフ〜ン♪と鼻歌を歌いながら機械の前に立った私は、3秒ほど固まったね。「ファックス・1枚当たり50円」・・・

50円!そ、そんなに高いのか!コピーの感覚で1枚10円だろうと思っていたのでビックリだ。しかも送るのは2枚。ちょっとした手違いのせいで、100円もかかってしまうのか・・・ガックリ。



夜、ゆっくりと湯船に浸かりながらふと、気づいた。

そっか。プラマイ・ゼロの1日だったな。
こんな帳尻合わせ、ちょっと私らしいかも。



今日の場合は「お金」だったけど、きっと人と人との様々なやりとりにも同じことが起こるんだろう。

自分がした間違いで、誰かに嫌な思いをさせたことに気づいたら、出来うる限り時間を置かずに「ごめんなさい」と言うのはとっても大切なことなのだと、改めて思い出した。「しまった」と思ってから相手に謝れるまでの時間が、短ければ短いほどその時の自分に偏見や言い訳が無いということになる。他人と自分を同じフィールドで感じていられるように、「ごめんなさい」の瞬発力を磨こう。

それとやっぱり、打算抜きで周りの人たちに喜んでもらおう。もう何だかそうせずにはいられないってくらいの、自然な流れの中で。
昨日は母の四十九日法要だったので、実家に来ています。

命日から数えると本当は来週の土曜日が四十九日目に当たるのだけど、お寺さんの都合で繰り上げ。

清々しい青空が広がる中、納骨も済んで親戚一同と会食もし、皆それぞれの胸の中に母の面影を抱きながらまたお盆にねと手を振り別れた。

母は亡くなってから四十九日までの間、1週間に1人ずつ仏様とお会いして彼岸に渡るための教えを頂いている。その6週目、四十二日にあたる昨日は弥勒菩薩様だった。母は人の話を疑うことなくいつでも素直に受け止める「性善説」な人だったので、仏様たちのお話をちんまりと正座して熱心に聴いているのだろうなぁ・・・。あらぁ、そうですか。へぇ〜〜、まぁまぁそれは・・・なんて。


さっき、こうしてパソコンの前に座っていたら、隣の部屋で眠っている父が突然声を上げて泣き出した。

母との悲しい夢を見たのだろうか・・・

法事ではあれこれと気丈に振舞っている父も、親子だけで飲んでいると悲しみに泣き崩れる。私たち家族みんながそうなのだから父のその気持ちも痛いほど判るのに、本人は性格が災いしてそんな自分を恥じてしまう。弱い自分を認めその姿をさらけ出すなんてことを、父は今までの人生でほとんどしたことが無いんだと思う。

齢70を超えた今、父に訪れたこの学びのステージは過酷だ。

けれど支えてあげられる人達がいる。大丈夫だよと、何度も繰り返し伝える私たちがいる。だからどうか、少しずつでいい、悲しみの底から上がってきて欲しいと心から祈るばかり。

私も、ついさっき急に涙が溢れ、ひとしきり泣いた。

私が香港旅行から母へのおみやげに買ってきて、入院中には手首にはめてくれていた水晶のブレスレットが今私の左手首にある。形見になってしまった。

会いたい。   会いたいよね。

桜と花祭り

2007年4月10日
先週末は、桜がちょうど満開を迎えたお花見日和だった。

ところがタカは、この間の韓国旅行から帰ったあと体調を崩していて元気が無かった。熱はないものの喉が痛くて咳も出て、眠っても疲れが取れず体がだるくて仕方がない状態。喋っても声にいつもの張りがぜんぜん無く、冗談を言って私を笑わせる余裕も失って・・・かわいそうだった。

それでも花見を楽しみにしていたタカ。土曜日はライトアップされた夜桜を見に行く予定だったけれど大事を取ってやめて、日曜日に体調を見ながら、できれば夜まで一日中桜を満喫しようということになった。

日曜の朝、タカより少し先に起きて久しぶりにお弁当の仕度。おむすび3種類と厚焼き玉子とタコウインナーの簡単メニューだけど、これを外で食べるとたまらなく美味しいのが不思議だ。

朝ごはんのしたくもできてタカを起こすと、だいぶ気分が良くなっていたので少し安心。どっしりと重たいお弁当とガイドブックをリュックに詰めて、出発した。

電車で1時間ほどのところには、神社仏閣が点在する桜の名所がたくさんある。車中でガイドブックを広げながら行動予定を練った。タカの体もまだ本調子ではないので、なるべく人ごみを避けるコースに決定。

電車を乗り継ぎ目的地に到着。そこでレンタサイクルを借りて、渋滞する車の列を尻目に颯爽と春風を切って走る。桜の名所巡りスタート!

最初に行ったあるこぢんまりとしたお寺の境内には、さほど大きくはないが見事に満開になったソメイヨシノが何本かあった。写真を撮り、毎年見ても全く感動が薄れることのないその美しさを今年も愛でることができたことを心からありがたく思う。もうすぐ四十九日を迎える母の魂も、桜を眺めていたに違いない。その遺影は2年前に花見をした時に撮ったもの。満開の花びらの下でくったくなく笑っている。

本堂に上がり、お参りを済ませて国宝である貯蔵品を見たり中庭を散策したりして戻ってくると、ちょうどご住職が訪れた観光客にお寺の由緒を説明するところだったので一緒に座って聞かせて頂いた。

そこで初めて思い出した。

その日、4月8日はお釈迦様の誕生日だったのだ。

確か何かの日だったなぁ〜〜・・・と気になっていたのだけれど、やっと判った。このお寺ではそれを祝して毎年この日に「花まつり」という行事を行い、普段はその扉を閉じているため一般の参拝客は目にすることができない国宝のご本尊である「三国伝来のお釈迦様像」を、一日中参拝できるよう扉を開けてあったのだ。

何しろ私は、神社仏閣・仏像好き。

思いもかけないところで、嬉しいご褒美を頂いちゃった!ガイドブックには載っているもののさして有名でもないお寺なので、宝物を掘り当てたような気分。他にも特別公開中の仏像や絵画などたくさん見ることができて良かった。実はタカも歳のわりにわびさびを好み、歴史の古い建造物や装飾を見たり苔むした庭園をゆっくり散策するのが大好き。その点では趣味が合って良かったなぁ〜とつくづく思う。

お寺の境内には小さなお茶屋があったので、甘酒を注文して店の外に置かれたベンチでお弁当を広げてランチタイム。予想通り、美味しいのなんのって!何しろ空気が美味しいもんね。そして目の前には立派な桜の木が枝を広げている。その下では数人の人たちがみな穏やかな顔で日常を離れた時間を満喫していた。そう言えば、神社とかお寺で喧嘩してる人やひどく暴れている子供を見たことがないなぁ。ま、磁場が整っているからね。心が落ち着くのも当たり前だ。

それからまた自転車をこいで、絵に書いたような美しい庭園を2ヶ所まわったら早くも日が暮れてきた。何しろ行く先々がとっても居心地が良いので、ついつい長居してしまう。

少し休もうと入った喫茶店で、コーヒーと抹茶パフェを仲良く分けながら食べているとタカが急にダウン。とってもだるくて今すぐ横になりたいと言うので、夜桜はやめにしてタカの家に帰ることにした。元気の無いタカを見ると不憫で切ない。・・・が、普段から自己中で暴言吐き放題(笑)な部分もあるので、そう思うとちょびっとだけ心の中でフフッと笑える。

でも、休みの日に具合が悪くなるなんてほんとに可愛そうに。帰りの電車の中でも蚊の鳴くような声で「テハヌーごめんね、夜桜見れなくて。怒ってる?」と何度も聞くタカ。怒るわけないじゃない、早く帰ろうね。美味しいご飯を食べてゆっくりお風呂に入って、早く元気になるといいね。と、優しく応える私。ワハハハ。

今年の桜と、お釈迦様37歳の時のご尊顔。

もう、これだけで充分。

ギフトを受け取る

2007年4月6日
皆さん! お花見、しましたか??

今週もがんばってたくさんお仕事をした私。週末は2日続けて今年の桜を堪能しに行きます!

タカと2人、まずは明日の夜。夜桜を愛でてみます。

それから明後日は、早起きしてお弁当を作り出発。レンタサイクルを借りて春風を切って走り、どこか良さそうなところでお弁当を広げて「花」と「団子」の両方を味わう贅沢に浸って来る予定。はてさて、どんなお花見になることやら・・・?

今年は新年早々から3月までというもの、私の身にはかつてない大嵐が襲来しクルクルと翻弄され続けた。ここらでいったん着地して、風の匂いを太陽の肌触りを、きちんと思い出してもいい頃よね。そうだよね。

近いうちに、生まれて初めての手術に臨まなければならないかもしれないんだし。


よしっ! 楽しんでこよう!
という訳ですっかりお気に入りになった革ジャン。


寒くなると予報が言ったので、今日も思う存分革ジャンを着て歩けるとウキウキしながら家を出た。その時はまだ、きれいな青空が広がっていたのに・・・

昼下がり。仕事先を一歩出ると、外はどしゃ降りの雨だった。傘など持ってない!そう、革ジャンに雨は最大の天敵なのにぃぃぃ!

まさか、こんなに早くその実力を試す時が来るとは思っていなかった。私は意を決して勢い良く飛び出し、駅までの道のりを5分間、大粒の雨に打たれながら走り続けた。髪がみるみるうちにびっしょり。

でも革ジャンは、きれいに雨粒を弾いていた。よしよし。実は先週末に、タカとホームセンターに行き防水スプレーを買ってきてさっそく吹きつけておいたのだ。見た目は何の変化も無いので「ほんとに効いてるの?」と半信半疑だったふたり。調子に乗って傘、ブーツ、スニーカー、カバンやベルトにまで防水処理。濡れたら困るものって意外と多かったんだなと変なとこで気づいた。

息をきらしてたどり着いた駅のホームで、脱いだ革ジャンをバサバサッとひと振り。水滴はほとんど飛んで、全く沁み込んでいなかったからびっくりした。あとはハンカチでサッとふけば大丈夫。ブラボー、防水スプレー!!

革製品はお手入れが大変だけれど、ていねいに使えば一生モノだと言う。実は私はけっこう面倒くさがりで、手入れをせずに結局ダメにするのが判っているから革のものを避けていたとも言える。けれどタカが買ってきてくれたこの革ジャンだけは、本当に一生着てやろうと思う。どうやってお手入れすればいいのか、もうちゃんとネットで調べた。クリーナーやクリームを買って、シーズンオフにはきれいに保管しよう。そして多少の汚れやキズができても、それが独特の味に変わるのが革製品の醍醐味でもあるし。


はまったナァ。この革ジャンには、すっかりはまった。

どうしてだろう。タカが一生懸命選んで買ってきてくれたという嬉しさ。それと、ひと目で気に入ったこと。そう、自分でも意外だった・・・すんなりと着こなせたことが。タカも「予想以上に似合ってる」と感心していた。ふぅん、またちょっとした新しい扉を開けたみたいだ。

これからは、服やバック、靴など身につける物を吟味して買おう。本当に好きで、質もそこそこ良いものを必要なだけ手元に置いて、大切に長く愛用したい。ちょっといいなと思って欲しくなった安っぽいものを安易に買うのはよそう。お金も物も、結局もったいないことになってしまうから。



・・・ん?これって・・・

生き方にも通じるかも。

生きるってことは、その瞬間瞬間が全て、完全に自由な自分自身の選択の連続なのだから。

本当に必要とする物を。

本当に必要とする時を。

本当に必要とする場所を。

そしてできれば

そのいずれにも、こだわらない心を。

今ごろBad Girl

2007年4月2日
友達と韓国に遊びに行ったタカが、お土産に革ジャンを買ってきてくれた。

お土産と言っても私から頼んでおいたもので、予算もオーバーしてしまったからその分お金を払ったのだけれど、慌しいスケジュールの中、探して買ってきてくれたのがとても嬉しい。

なぜ今革ジャン?

今までの私のワードローブには無かったアイテム。買おうとも思ったことがなかった。それが、一昨年タカがサンフランシスコに仕事で行った時に買ってきた革ジャンがとても素敵で、それ以来何かと「私も欲しい〜」と言い続けていたのだ。今ごろになって突然、「私は革ジャンが似合うはずだ」と思い込んでしまったのは一体なぜだろう・・・。

ところがいざタカに「どんなのがいい?」と聞かれると、てんで判らない。今持っている服は、ジーパン以外のどれも革ジャンと相性が良いとは思えないものばかり。

「じゃあ、カッコイイやつ探してみようか?私、バッドガールよって感じの。」

「うん!タカのセンスに任せるから、私に似合いそうなのを見つけてきてね!」

と言うことで仲の良い友達と2人、韓国に飛び立ったタカ。2泊3日の短い時間の中で、夜中も開いているマーケットに行き私のと自分の分まで買って帰ってきた。

タカが「テハヌーに似合うのはこれ!」と選んでくれたのは、落ち着いた赤い色の皮ジャンだった。デザインは、衿やボタンが付いて変にタックやスリットが入ったようないかにも女性用のやつじゃなく、ライダーズに近いスタンドネックでファスナーがついた極々シンプルなもの。上の写真の革ジャンを渋めの赤にして、胸元のファスナーを無くした感じだ。それは誂えたみたいに体にぴったりのサイズなのに、柔らかいから窮屈じゃなくとても着心地がいい。革独特のいい匂いがする。

ひと目で、気に入ってしまった!

「どう?これでテハヌーもバッドガールの仲間入りだね」

タカがホッとした顔で笑う。サイズが合うかどうか、私が気に入ってくれるかどうか、気を揉んでいただろう。さっそく着てはしゃいでいる私を見て大満足、自分も買ってきたライダーズ風の革ジャンを着て一緒にセルフタイマーで写真を撮った。

街ではもう、桜がほころんでいる。

革ジャンの中に着る服を工夫して、これから1日でも長くこの新しいアイテムを楽しみたいなぁ。春よゆっくりゆっくり、おいで。そう言えば桜の季節は花冷えって言って風は冷たいし。特に夜桜を見に行くにはピッタリだわ。


それにしても・・・ウフフ。

タカの「バッドガール」なイメージって、一体・・・?

箱庭で深呼吸

2007年3月15日
忙しいと覚悟していた今週も、今日でヤマを越えた。

治療した歯が少し痛んで心配だったけれど、一晩眠ったら翌日にはすっかり良くなっていた。大好きなキャベツの芯も、バリバリ噛めてとっても嬉しい。

明日は午後3時まで本業をこなし、その後ちょっとしたバイトをして夜10時半には開放される。そして疲れた足と空きっ腹を抱えたまま、タカの家に向かうだろう。

あと少し・・・

もう少し頑張れば、24時間後にはタカと暖かいお風呂に入っている。


週末は、箱庭のような小さな安らぎを。

少しずつ・・・

2007年3月13日
昨日の夜中に、自宅に帰ってきた。

倒れこむように眠り怖い夢を見て起きた朝。

今日から、いつも通りのスケジュールで仕事が始まる。

行く先々でたくさんの方からお悔やみの言葉を頂き、気持ちが慰められる。こういう時は概して年配の方のほうが、本当に相手の気持ちに寄り添った言葉を選んで励ましてくれる。さすが、艱難辛苦を乗り越えてきたのだろう逞しさと感情の豊かさが覗えてホッとする。

朝8時に家を出て夜9時過ぎに家に帰り、焼きシャケと厚焼き玉子と納豆という変な組み合わせで夕食を済ませ、眠くならないうちに確定申告書の作成に取り掛かり完成させ、やっと一息ついてお風呂に入る。久しぶりにゆっくりと本を読みながらのリラックスタイム・・・自分を取り戻す。

そうそう。

母が亡くなった朝に、昔治療した奥歯の詰め物が取れてしまったのだけど、今日の午後、仕事のあいまを見つけてやっと歯医者に行ってきた。麻酔を打たれ、ゴリゴリと治されるあの感覚。何年ぶりだろう、恐れていたほど痛くなかったけれどやっぱりできればもうやりたくない。これで大丈夫かと思いきや、何だか治療跡がじんわり痛むじゃないか。少し様子を見て、まだ痛かったらまた行かなきゃ(涙)


それにしても・・・この週末は、みんなに励まされた。

みなみん、しえちゃん、砂ちゃん、K子さん。

それぞれがその人らしい方法で、私の疲れと悲しみを少しでも軽くしようとしてくれた。こういう体験をするとつくづく思うけれど、人の力はすごい。良くも悪くも、言葉を使っても使わなくても、人が人に与えるエネルギーを軽んじてはいけないのだ。

暖かいみんなの気持ちを全身で受け止めながら、私ができることはただ「ありがとう」と繰り返すことだけ・・・ありがとう、本当に。いつか私が、苦しい時のみんなを少しでも支えることができますように。

今週は、忙しい。地に足をつけて慌てずゆっくりとやるべき事をこなしてゆこう。そう言えば今日、車で仕事先から帰る途中で、危うくバイクの若い男の子とぶつかるとこだったんだ。交差点にさしかかった時、何故かその少し前から警官の姿が脳裏に浮かんで、早めに減速していたお蔭で助かった。バイクの子は、前方不注意のままかなりのスピードで交差点に突っ込んで来て曲がろうとし、私の車に突っ込んで来たのだ。バランスを崩して転倒したけれど、私はもう止まりかけていたし車のかなり手前だったためぶつからずに済んだのだった。ドアを開け、「大丈夫ですか?」と聞いた私は至って冷静だった。男の子は「大丈夫です、スミマセン」と走り去って行った。

母だ。

母が、守ってくれたのだった。

ありがと、お母さん!車の運転は、気をつけるからね。


写真の笑顔に手を合わせた。

初七日

2007年3月9日
母の葬儀は、お通夜も告別式も滞りなく終わった。

家に帰ると母が眠っていた場所に小さな白い壷が置かれ、たくさんの花が写真を優しく包んでいる。家中にお線香の香りが充満していることに、まだ戸惑う。

6日の告別式が終わってから新幹線に乗っていったん自分の家に帰り、7日と8日は仕事をし、そして今日また休みをもらって実家に来た。時間とか曜日の感覚が薄れて何度も手帳を見ないといけない。今日が初七日ということも、カレンダーの上ではその通りなのだが私の意識では全くピンと来ない。早いような気もするし、まだ1週間しか経っていないのかとも思えてもう何が何だか・・・

昨日はタカの家に泊まっていた。

タカは、元気の無い私を励ますために美味しいご飯を作ってくれた。そのくらいしか出来ないと本気で思っていたらしい。飛び切り美味しいプッタネスカを食べてようやく少し笑顔が戻った私を見て嬉しそうにしていたけれど、会話が途切れ、タカの手が私の髪を優しく撫でるともうどうしようもなく悲しみの渦に巻き込まれ身動きできなくなってしまった。そんな私にタカは、「僕にできることは何?」と率直過ぎる言葉をつぶやいた。

ただ、受け止めてくれるだけでいい。

この悲しみを半分、引き受けてくれる?

そう言って、家族の誰にも言えなかった悲しみをタカに全部聞いてもらった・・・



一緒に泣いてくれた、タカ。

そうしたら本当に、私が流すはずだった涙の半分がすーっと消えてしまった。

ありがとう。そばにいてくれて・・・


だけどこうやって少しずつ、1人でも生きてゆく逞しさを育てているんだ、私。
昨日、3月3日ひな祭りの日。夜7時半。

母はとうとう不自由な体を脱ぎ捨て、蝶になりました。

脳腫瘍を患い手術を受けたのが一昨年の11月。以来、苦しい時も楽しい時も、その全てが母らしい日々でした。母の生き方そのものでした。そんな母の生涯は、私にまだ消化しきれないほどたくさんの大切な事を学ばせてくれ、今もそれは続き、そしていつか私も母が脱皮したのと同じ世界に蝶となって羽ばたいてゆくその日まで、絶えず学び続けてゆくでしょう。

今は自分の内側から沸き起こってくるどんな言葉も、残らず涙の洪水に押し流されてしまいます。それは、息も出来なくなるほどの焼けつくような感情。もし今1人になったら、きっと吼えるように号泣していると思う。

体中の全ての毛穴から、涙が噴き出しそうだ・・・




昨日母が息を引き取ろうとしていたその時、550キロ離れた場所にいた私の体に異変が起こっていた。

大型書店でタカと一緒に本を探して回っていたら、突然、どうしようもなく体が熱くなり息が苦しくなった。頭がクラクラして立っているのが辛い。でも熱が出た時とはまるで違う感覚で、サウナに閉じ込められたような閉塞感だった・・・

その直後に、父からの電話。

聞けば母は息を引き取る前、ひどく呼吸が荒かったそうだ。傍らで父が心配していたものの、目をそらしている間に気付いたら苦しそうな呼吸の音が聞こえなくなっていた。すでに息を引き取っていたのだった。

私が経験したのは、もしかしたら母がさなぎから蝶になる過程だったのかも知れない。空間を越えて、魂がシンクロしたんだと思う・・・だって私の体の半分は母で出来ているんだもの。

すぐそばにいた父さえ気付かなかったほど、全く苦しむことなく長年慣れ親しんだ体を脱ぎ捨てた母。その顔は本当に穏やかなのです。眠っているようにしか見えないくらい。ただ、その氷のように冷たいおでこが、母はもう2度と目を開けはしないのだと告げています。



今年の11月で72歳になるはずだった母。ひな祭りの、満月が美しく輝く夜に旅立ちました。

調べたら、生まれたのも満月だったことが判明。自然から人生の哲学を得ていた母らしい、素晴らしい往き方でした。



明日、お通夜。あさってが、告別式。

今週は心も体もかなりキツイ毎日になりそう・・・

しばらく書けなくなるかも知れないけれど、落ち着いたらまた。
声・・・この不思議なちから。

理屈抜きで好きな声、もうどうしようもなく「感じる」声に出会えたら幸せだ。生きている間に、いったい何度出会えるかわからない。

この方、マーク・マーフィです。

ジャケ写真・・・どうして誰も止めてあげなかったんだろうってくらい、怖い。こんな顔の人が、空き缶を探しながら近所をうろついていたら間違いなく怖いっす。ついでにバラすと、ケースを開けて中の写真もことごとくこんな感じ。小さな子供は泣き出すでしょう。

ところがっ!!

歌声が、私のツボに「どストライク」なのでした。外見通りのダーティーさ(重ね重ね失礼!)が見え隠れする、大人の甘さと色気を携えた他に類を見ない魅力に溢れた歌声は、いつもの見慣れた部屋を異国のジャズバーに変えてしまいます。

マーク・マーフィの歌声を初めて聴いたのは、FCQ(ファイブ・コーナーズ・クィンテット)のアルバム。フィンランド出身の抜群の才能とセンスを持った4人が奏でるクラブ・ジャズは、一度聴いただけで私を虜にした。運良く、来日した際にブルーノートでのライブを見ることができ、演奏後に全員と握手を交わし怪しい英語でつかの間の親交を持ち、サイン入りのCDを手に入れたあの日の感動は今も胸に焼きついている・・・♪

そのアルバムの中の1曲でマーク・マーフィが歌っているのだけれど、これがまた、むっっちゃくちゃカッコイイ!!!ちょっと待って、これは一体誰なの。こんな声でこんな風に歌えるなんて、どんな人なんだろう。髪型は、目の色は、そもそも何人なんだろう・・・と聴くたびに妄想を膨らませていた私。そしたらこの前、タカが「こんなのあったよ」と教えてくれたのがこのアルバム。ジャケを見た瞬間、私の淡い愉しみは影も形もなく消え去ったけれど、やはりこの声・・・ああ〜〜ん、感じるぅ。

今宵も、このたまらなく心地良いバイブレーションに身を任せたまま眠ろう。




今日から、3月。

街角に沈丁花の香りが漂う日が、待ち遠しいな。
(ゆにぞんさんが羨ましい〜!)

ハチミツが好き

2007年2月19日
なかなかゆっくりブログを書く気分になれない・・・

と言うのも先週はいきなり体調を崩し、火曜日は高熱を出して寝込んだ。ひと晩集中して眠ったら翌朝にはスッキリ良くなっていたけれど、仕事のことで神経をすり減らすことが2つあって結局上手に波に乗れないまま1週間が終わってしまった感じだ。

そして何よりも、咳が治まらない。
喉の奥の方、気管支が呼吸をする度にむせるような不快感に苛まれて発作のように咳が出る。今日はもうほとんど出なくなったけれど、先週は毎日がとっても憂鬱だった。私の弱点、喉〜〜!

そんな私に、タカは週末ハチミツレモンを作って飲ませてくれたり、夕食の鍋では喉に良いからとネギをどんどん食べさせてくれた。しかーし、ネギに関しては実は嫌いだから私に回したことが判明。何なのだ。いや、嫌いなのがバレてしまうことがマヌケで憎めないところなのだが。

まぁ、何にせよ彼が作る料理も飲み物も私の喉にすぅーっと心地良く迎えられる。素材を贅沢に使ったプロもびっくりのプッタネスカも、大根の味噌汁に梅干とふりかけをまぶしたアツアツご飯も、弱った私の心と体をぐいぐい引き上げてくれる。中でも眠る前に作ってくれるハチミツレモンはイガイガする喉に効果てきめんだった♪

甘くて酸っぱいハチミツレモンは恋の味?

そういうことにしておいて、もう恋に恋するには充分大人になった私は微笑みながら見つめていよう。



ところで。

プロバイダを変えることにしました。そのバトンタッチが何だかうまくいかなくて、明日から26日までネット接続できましぇん。

なのでしばらく、パソコンを開けない毎日が続く・・・うーん、きっと無ければ無いで構わないんだろうなぁ〜パソコン。


では皆様、また来週接続できるようになるまでお元気で。

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