昨日は母の四十九日法要だったので、実家に来ています。

命日から数えると本当は来週の土曜日が四十九日目に当たるのだけど、お寺さんの都合で繰り上げ。

清々しい青空が広がる中、納骨も済んで親戚一同と会食もし、皆それぞれの胸の中に母の面影を抱きながらまたお盆にねと手を振り別れた。

母は亡くなってから四十九日までの間、1週間に1人ずつ仏様とお会いして彼岸に渡るための教えを頂いている。その6週目、四十二日にあたる昨日は弥勒菩薩様だった。母は人の話を疑うことなくいつでも素直に受け止める「性善説」な人だったので、仏様たちのお話をちんまりと正座して熱心に聴いているのだろうなぁ・・・。あらぁ、そうですか。へぇ〜〜、まぁまぁそれは・・・なんて。


さっき、こうしてパソコンの前に座っていたら、隣の部屋で眠っている父が突然声を上げて泣き出した。

母との悲しい夢を見たのだろうか・・・

法事ではあれこれと気丈に振舞っている父も、親子だけで飲んでいると悲しみに泣き崩れる。私たち家族みんながそうなのだから父のその気持ちも痛いほど判るのに、本人は性格が災いしてそんな自分を恥じてしまう。弱い自分を認めその姿をさらけ出すなんてことを、父は今までの人生でほとんどしたことが無いんだと思う。

齢70を超えた今、父に訪れたこの学びのステージは過酷だ。

けれど支えてあげられる人達がいる。大丈夫だよと、何度も繰り返し伝える私たちがいる。だからどうか、少しずつでいい、悲しみの底から上がってきて欲しいと心から祈るばかり。

私も、ついさっき急に涙が溢れ、ひとしきり泣いた。

私が香港旅行から母へのおみやげに買ってきて、入院中には手首にはめてくれていた水晶のブレスレットが今私の左手首にある。形見になってしまった。

会いたい。   会いたいよね。

コメント

ゆにぞん
ゆにぞん
2007年4月16日9:41

テハヌーさんのこの日記を読んで、この世に生きているっていうことは本当に修行なんだなぁと、つくづく感じました。向き合わねばならない課題は一度パスしてももう一度、逃げたらまたもう一度、と何度でも突きつけられるんだなぁ。お父さんは相当しんどそうだけど、その背中をまわりに見せることで、みんなもまた予習復習をしているんですね。

大事な人との長いお別れ。そのひとそのものの存在を埋めてくれる「物」なんて絶対にないよね…。でも離れていてもテハヌーさんは、お母さんの想いをキャッチできるはず。ブレスはその力を増幅させてくれるかも。

テハヌー
テハヌー
2007年4月16日23:22

肉親との死別を初めて経験している私。想像していたのよりもずっと冷静でいるような気がするし、悲しみの深さは想像を遥かに超えている気もする。突きつけられる現実が越えねばならない課題だと思うと、思わず足がすくんだり回れ右してしまうかもしれない。でも、どんなに悲惨に思える出来事の中にも必ず救いがある・・・大人になってそのレッスンがどんどん難しいものになっても、広い視野を持てる、柔軟な捉え方ができるような人間に育ててくれた両親に、感謝と敬服の念が絶えません。きっと両親は、その場その場でただ一生懸命だっただけなのかもネ。

ブレスレットは、つけてると暖かいのよ。外すと手首がスーッとしてよく判る。

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