毎年、初夢はけっこう気にするほう。

昨夜見た夢は切れ切れにしか思い出せないけれど、一番印象が残っている場面はあと30分で身支度を整えて今いる場所とはぜんぜん違うところに行かなければならなくて焦っていたところ。横にひとり一緒に行く人がいたのだけれど、タカだったような気もするし良く知る女の人だったような気も・・・。もっと色々見たのに忘れちゃって残念。確かなのは「一富士、二鷹、三なすび」とは無縁だったことだ。トホホ〜

大晦日も元旦も、ご馳走を食べた上にロクな運動もしなかったのでフン詰まりになり、所構わず出るガスがこの世のものとは思えない醜悪な香りを漂わせていたので困っていたら、今日は1日で3回もお出ましになった。体も人生も、余計なものを捨てると何てスッキリするのだろうと実感。素晴らしき哉、人体のシステム!

昨日近所の神社に初詣に行ったとき、もう10年以上引くのを止めていたおみくじを引いてみた。「吉」を頂戴して、久しぶりに読むその独特の文体を楽しみながらじっと読み、境内に結んで帰ってきた。一緒に行った弟の彼女が、おみくじって引いたときはじっくり読んで納得するのに、どうしてすぐ忘れちゃうんだろうと言っていたけれど、本当にその通り。1日経った今、覚えているのは一言二言だけでちょっと悔しい。もったいない。でも、腑に落ちてからすぐに忘れるということは、日常生活で意識的でも無意識にでも実行しているんじゃないかな。だから今まで通りでいいんだと思うから覚えていない。とか。

ともかくも、すっかり気を良くした昨日に引き続き、今日はさっそく嬉しい出来事があった。実に1年以上も会いたいけれど会えなかったという友達と会って、ランチとお茶を楽しみながらお互い人生の途中経過を報告しあった。けれどぜんぜん物足りない。まだまだ、いくらでも語り合いたいことが出てくる。三日三晩一緒にいても別れ難いだろうけど、正月2日なんて誰もが忙しい時に会えただけでも時の巡り合わせに感謝せねばのぅ。

彼女は、私の窮地に現れて重く沈みそうな心をサーッとさらって洗濯機に入れて、脱水して物干しにかけてパンパン!と叩いてくれる人。「ほーら余計な汚れが取れたよ、新しく生まれ変わったね、もう大丈夫!」と教えてくれる。私のスーパーウーマンだ。いや、私らは2人とも自他共に認める「男前な女」だからスーパーマンで差し支えないか。

全くもって、生きてゆくということはややこしいことの連続だ。だけど有難いことに独りきりではない。たとえ真に孤独だと思う時があっても、必ず誰かが私を思ってくれている。案じて気にかけてくれているのだ。その想いを受け止める技量も磨く必要がある。

私の大好きな言葉。

求めよ、さらば与えられん。


少ない人生経験ではあるけれど、これほどまでに私を迷路から力強く引っ張り出してくれる光は、そうそう無いことを学んだ。

今日会えた友達は、澄んだその瞳の中に、いつもその暖かい光を携えている。それを私に見せてくれる。

みんな、何か支えを見つけなくてはね。それは誰か、ではなくて、誰かが持つ何か。誰かを通して心が感じ取る、何かだ。

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