眠るには惜しい夜に
2006年7月9日
一昨日から実家に来ていて、あれこれと忙しい毎日。
何しろ約30年ぶりに家具を入れ替えることになり、野放し状態だった押入れやらタンスの中身やらをひっくり返さなくてはならなくて、その量とあまりのホコリで死にそうだった。
そして整理の時にはお決まりの、昔の写真や通信簿や賞状や母子手帳なんかがわんさか出てきて見入ってしまい、仕事は遅々として進まず。まぁ、母と2人でのんびりとやればいいのだから構わない。
明日は、食器棚の整理。がんばりまっす。
そんな夜につらつらと思う・・・
引退宣言したヒデさん。
好きです、彼が。
私には、同じ時代に生きてるだけで嬉しいと思える人が何人かいるのだけれど、ヒデさんもその1人。彼の言動はできるだけ逃さずに見たい。今後はその機会も減ってしまうのだろうけれど、ネットや本や他の媒体を通して今を生きる彼の様子を静かに垣間見させて頂ければと思う。
生きていく、ということは
問答無用の毎日が繰り返し訪れるということで
これまた選択の余地なしに己の体のみを頼りに全てを切り抜けていかねばならない。
だから、自分と生き方が似ている人を見るのが好き。勇気づけられるし心の救いになることが多い。
私はヒデさんのような多岐に渡る才能を持っていないし、頭の回転もキレも悪くかといって努力家とも思わないのだけど、彼に共感するものがたくさんある。好きで好きで、夢中になって取り組んできたものが自分の仕事になった彼の、とまどいと苦悩。不器用な選択。腹をくくって見据えた未来。
幸か不幸か世界中にその名を馳せたヒデは、そうでない大多数の人達には想像もつかない世界に生きた。それゆえ、自分の人生を次のステップに進めるというありきたりのことをするだけなのに「○○宣言」なんてややこしいことしなくちゃならなかったね。
私の声は、彼に直接届くことは無いけれど・・・
ヒデさん
どうかあなたは今までどおりあなたらしく。
自分がこの世に生きているということを、ぞんざいに扱わない人が、本当に好き。
そんな人と、これからもひっそりと心を交わしていきたい。
何しろ約30年ぶりに家具を入れ替えることになり、野放し状態だった押入れやらタンスの中身やらをひっくり返さなくてはならなくて、その量とあまりのホコリで死にそうだった。
そして整理の時にはお決まりの、昔の写真や通信簿や賞状や母子手帳なんかがわんさか出てきて見入ってしまい、仕事は遅々として進まず。まぁ、母と2人でのんびりとやればいいのだから構わない。
明日は、食器棚の整理。がんばりまっす。
そんな夜につらつらと思う・・・
引退宣言したヒデさん。
好きです、彼が。
私には、同じ時代に生きてるだけで嬉しいと思える人が何人かいるのだけれど、ヒデさんもその1人。彼の言動はできるだけ逃さずに見たい。今後はその機会も減ってしまうのだろうけれど、ネットや本や他の媒体を通して今を生きる彼の様子を静かに垣間見させて頂ければと思う。
生きていく、ということは
問答無用の毎日が繰り返し訪れるということで
これまた選択の余地なしに己の体のみを頼りに全てを切り抜けていかねばならない。
だから、自分と生き方が似ている人を見るのが好き。勇気づけられるし心の救いになることが多い。
私はヒデさんのような多岐に渡る才能を持っていないし、頭の回転もキレも悪くかといって努力家とも思わないのだけど、彼に共感するものがたくさんある。好きで好きで、夢中になって取り組んできたものが自分の仕事になった彼の、とまどいと苦悩。不器用な選択。腹をくくって見据えた未来。
幸か不幸か世界中にその名を馳せたヒデは、そうでない大多数の人達には想像もつかない世界に生きた。それゆえ、自分の人生を次のステップに進めるというありきたりのことをするだけなのに「○○宣言」なんてややこしいことしなくちゃならなかったね。
私の声は、彼に直接届くことは無いけれど・・・
ヒデさん
どうかあなたは今までどおりあなたらしく。
自分がこの世に生きているということを、ぞんざいに扱わない人が、本当に好き。
そんな人と、これからもひっそりと心を交わしていきたい。
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