やっと、ほっと
2006年2月15日
無我夢中で、1週間が過ぎた。
母の元に行っていた週末。状態は好転していて、簡単な意思表示ができるようになったのと全く動かなかった右の手足が僅かに動いて、私達家族は少しホッとしたけれど、意識がはっきりしてきた母は自分の身に起きた重篤な病状を痛感し、激しく落ち込んでしまった。食欲が無くリハビリにも積極的になれない。
それは、ごく当たり前のことだ・・・。もし自分だったらと考えれば、これから先の人生に何の希望も持てなくなるほど絶望するだろう。自分の体を自分の思い通りに動かすことができない苦痛は計り知れない。人間としての尊厳を、深く深く傷つけてしまうだろう。
そんな母とずっと一緒にいて、自分の無力さを思い知った3日間。けれど、先週のように自分らしさを失うほど動揺しないで済んだのは、もちろん母が意思表示をできるようになったことが一番の安心につながったのだけれど、私を励まし支え続けてくれている3人の男性のお陰だった。
まず、師匠。頂いた2通のメールが私の揺らぐ心をガッチリと支えてくれ、自分の経験から出たその暖かさと力強さを備えた励ましの文章は、私にこらえていた涙をすっきり流させてくれた。その後の心の落ち着きはどれほど有難かったことか・・・。
そして元夫。私の家族を良く知ってくれている彼は、私の痛みを本当に半分背負ってくれた。どんなに泣き崩れてもやけになって暴言を吐いても、全て受け止めてくれる安心感に心置きなくすがることができた。
それからタカ。
月曜日、東京から新幹線で帰ってきて京都に着いたのがもう夜10時過ぎ。重い足をひきずってちょうど出張で京都に来ていたタカと落ち合った。
一緒に食事をし、タカの取ったホテルに泊った。2週間ぶり、最悪の状態を何とか乗り切った私を見てタカは「やつれたね」とひと言。「やつれない訳、ないでしょう」と無理に笑う私。一番必要としていた時に側にいてくれなかったタカを受け入れていたはずだったけれど、顔を見たらやっぱり本音がこみ上げてきてなかなかいつものように素直になれなかった。
ホテルに戻ってやっと2人きりになれた時も、私を抱き寄せようとするタカの手を振りほどいてしまう。けれど、ようやくタカの腕の中で息を殺すように泣き始め、彼の暖かく力強い手のひらが私の髪・背中・腕をさすり抱き締めてくれている間中、熱い涙はとめどなく流れ続けていた。
長い間、2人とも言葉は無かった。
ただ、私のすすり泣く声だけが狭いホテルの部屋に聞こえていた。
「どうして代わってあげられないの?」
「仕方ないよ」
「私に何ができるの?」
「たくさんのことができてるよ」
若く、経験の浅い彼なりの、不器用だけれど真心が直接伝わってくる数少ない言葉。あまりにも深い私の悲しみを前にして、かける言葉は容易には見つからなかっただろう。その代わり、私から体を離すまでしっかりと抱き締め続けてくれ、私の顔を覗き込んで濡れた頬を拭ってくれた。その表情はいつもと変わらず優しいように見えて、けれど目の奥には私の悲しみを映していた。
ああ・・・本当に・・・・
この2週間、どれほどこうして欲しかったことか。
この日は彼自身も仕事がうまくいかずだいぶ疲れていたのに、ヨレヨレでジメジメの私を受け止めてくれたタカ・・・。普段は私に甘えてばかりだから忘れていたけれど、ここ一番の彼の底力はすごい。
「落ち着いた?」という彼の言葉ですっかり自分を取り戻し、それから一緒にお風呂に入り、久しぶりに楽しく笑いながら洗いっこしてから、広いベッドの上で痩せた体を確かめ合うように重ねて眠りに落ちた。
翌朝、東京で買っておいたバレンタインのチョコレートを椅子の上に置き、まだぐっすり眠っているタカを起こさないように部屋を出てそのまま仕事に向かった。
胸いっぱいに吸い込んだ朝の空気・・・
それは、何か素晴らしいことが起こりそうな気がする朝に飲む、大好きなコーヒーのように芳しかった。
母の元に行っていた週末。状態は好転していて、簡単な意思表示ができるようになったのと全く動かなかった右の手足が僅かに動いて、私達家族は少しホッとしたけれど、意識がはっきりしてきた母は自分の身に起きた重篤な病状を痛感し、激しく落ち込んでしまった。食欲が無くリハビリにも積極的になれない。
それは、ごく当たり前のことだ・・・。もし自分だったらと考えれば、これから先の人生に何の希望も持てなくなるほど絶望するだろう。自分の体を自分の思い通りに動かすことができない苦痛は計り知れない。人間としての尊厳を、深く深く傷つけてしまうだろう。
そんな母とずっと一緒にいて、自分の無力さを思い知った3日間。けれど、先週のように自分らしさを失うほど動揺しないで済んだのは、もちろん母が意思表示をできるようになったことが一番の安心につながったのだけれど、私を励まし支え続けてくれている3人の男性のお陰だった。
まず、師匠。頂いた2通のメールが私の揺らぐ心をガッチリと支えてくれ、自分の経験から出たその暖かさと力強さを備えた励ましの文章は、私にこらえていた涙をすっきり流させてくれた。その後の心の落ち着きはどれほど有難かったことか・・・。
そして元夫。私の家族を良く知ってくれている彼は、私の痛みを本当に半分背負ってくれた。どんなに泣き崩れてもやけになって暴言を吐いても、全て受け止めてくれる安心感に心置きなくすがることができた。
それからタカ。
月曜日、東京から新幹線で帰ってきて京都に着いたのがもう夜10時過ぎ。重い足をひきずってちょうど出張で京都に来ていたタカと落ち合った。
一緒に食事をし、タカの取ったホテルに泊った。2週間ぶり、最悪の状態を何とか乗り切った私を見てタカは「やつれたね」とひと言。「やつれない訳、ないでしょう」と無理に笑う私。一番必要としていた時に側にいてくれなかったタカを受け入れていたはずだったけれど、顔を見たらやっぱり本音がこみ上げてきてなかなかいつものように素直になれなかった。
ホテルに戻ってやっと2人きりになれた時も、私を抱き寄せようとするタカの手を振りほどいてしまう。けれど、ようやくタカの腕の中で息を殺すように泣き始め、彼の暖かく力強い手のひらが私の髪・背中・腕をさすり抱き締めてくれている間中、熱い涙はとめどなく流れ続けていた。
長い間、2人とも言葉は無かった。
ただ、私のすすり泣く声だけが狭いホテルの部屋に聞こえていた。
「どうして代わってあげられないの?」
「仕方ないよ」
「私に何ができるの?」
「たくさんのことができてるよ」
若く、経験の浅い彼なりの、不器用だけれど真心が直接伝わってくる数少ない言葉。あまりにも深い私の悲しみを前にして、かける言葉は容易には見つからなかっただろう。その代わり、私から体を離すまでしっかりと抱き締め続けてくれ、私の顔を覗き込んで濡れた頬を拭ってくれた。その表情はいつもと変わらず優しいように見えて、けれど目の奥には私の悲しみを映していた。
ああ・・・本当に・・・・
この2週間、どれほどこうして欲しかったことか。
この日は彼自身も仕事がうまくいかずだいぶ疲れていたのに、ヨレヨレでジメジメの私を受け止めてくれたタカ・・・。普段は私に甘えてばかりだから忘れていたけれど、ここ一番の彼の底力はすごい。
「落ち着いた?」という彼の言葉ですっかり自分を取り戻し、それから一緒にお風呂に入り、久しぶりに楽しく笑いながら洗いっこしてから、広いベッドの上で痩せた体を確かめ合うように重ねて眠りに落ちた。
翌朝、東京で買っておいたバレンタインのチョコレートを椅子の上に置き、まだぐっすり眠っているタカを起こさないように部屋を出てそのまま仕事に向かった。
胸いっぱいに吸い込んだ朝の空気・・・
それは、何か素晴らしいことが起こりそうな気がする朝に飲む、大好きなコーヒーのように芳しかった。
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