今いちばん欲しいもの
2006年2月4日
母の元に、行ってきた。
その姿は、お正月に一緒に手を繋いで初詣に行ったときとは全く様子が違っていた。
自分では歩くことができず、もちろんトイレも無理。
右の手足は動かない。
言葉をほとんど話せない。
話には聞いていたから覚悟していたものの、あまりにも衝撃が大きかった・・・
それでも、母の手を握り明るい声で「大丈夫だよ!みんながついてるから、心配しないで。1人じゃないから安心していいんだよ!」と何度も何度も繰り返す。油断すると一気に関を切って溢れそうな涙を、頑丈な心のダムでせき止めて。
結局、今日は11時半から7時半までずっと傍にいて、話しかけたり食事を手伝ったり、体をさすったりただ手を握って見つめていたり、とにかく私が傍にいるということを、母は1人じゃないってことを感じてもらえるように祈りながら過ごした。
その間、母は思いが言葉にならない分様々な表情を見せた。切なくなったり悲しくなったりするとひと筋の涙が浮かび、気持ちがしっかりすればキョロキョロと周りを見回したり、私の言葉に笑ったりもした。苦しそうに顔を歪めた時は、その原因を判ってあげられなくて砂を噛む思いだった。
考えてみれば、昨日簡単な手術で脳に溜まっていた水を抜いたばかりだ。何と25CCも・・・この1週間、さぞ辛かったろうに・・・・
けれど救われるのは、食欲が旺盛なこと。まだ自分ではスプーンも持てないけれど、昼も夜も出された量をほとんど食べてくれた。そのうち自分でスプーンや吸い飲みを持とうとし始め、気持ちが前向きに動いていることがわかって嬉しくなった。
夕方、弟がやってきた。彼が言うには、今日の母は昨日よりも格段にしっかりしているらしい。手の動かし方がずっと速くなっているし、表情もこんなに豊かになったと驚いている。
「お袋は姉貴に会いたがってるよ」
そう言われて身を切られるような思いで過ごした数日間。やっと会えた今日、母が本当に喜んでくれているのが心から心に直接伝わってくる。
もっともっと、判ってあげたい
母の胸と私の胸にくっつけたら、思いが伝わってくる糸電話が欲しい
明日も明後日も、ずっと傍にいる
その姿は、お正月に一緒に手を繋いで初詣に行ったときとは全く様子が違っていた。
自分では歩くことができず、もちろんトイレも無理。
右の手足は動かない。
言葉をほとんど話せない。
話には聞いていたから覚悟していたものの、あまりにも衝撃が大きかった・・・
それでも、母の手を握り明るい声で「大丈夫だよ!みんながついてるから、心配しないで。1人じゃないから安心していいんだよ!」と何度も何度も繰り返す。油断すると一気に関を切って溢れそうな涙を、頑丈な心のダムでせき止めて。
結局、今日は11時半から7時半までずっと傍にいて、話しかけたり食事を手伝ったり、体をさすったりただ手を握って見つめていたり、とにかく私が傍にいるということを、母は1人じゃないってことを感じてもらえるように祈りながら過ごした。
その間、母は思いが言葉にならない分様々な表情を見せた。切なくなったり悲しくなったりするとひと筋の涙が浮かび、気持ちがしっかりすればキョロキョロと周りを見回したり、私の言葉に笑ったりもした。苦しそうに顔を歪めた時は、その原因を判ってあげられなくて砂を噛む思いだった。
考えてみれば、昨日簡単な手術で脳に溜まっていた水を抜いたばかりだ。何と25CCも・・・この1週間、さぞ辛かったろうに・・・・
けれど救われるのは、食欲が旺盛なこと。まだ自分ではスプーンも持てないけれど、昼も夜も出された量をほとんど食べてくれた。そのうち自分でスプーンや吸い飲みを持とうとし始め、気持ちが前向きに動いていることがわかって嬉しくなった。
夕方、弟がやってきた。彼が言うには、今日の母は昨日よりも格段にしっかりしているらしい。手の動かし方がずっと速くなっているし、表情もこんなに豊かになったと驚いている。
「お袋は姉貴に会いたがってるよ」
そう言われて身を切られるような思いで過ごした数日間。やっと会えた今日、母が本当に喜んでくれているのが心から心に直接伝わってくる。
もっともっと、判ってあげたい
母の胸と私の胸にくっつけたら、思いが伝わってくる糸電話が欲しい
明日も明後日も、ずっと傍にいる
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